むむちゃんの散歩道

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須賀しのぶ『夏空百花』

太平洋戦争で中断した「甲子園」(高校野球大会)。
終戦の翌夏に、再開させるために奔走した人たちの話。


読みながらふつふつと思う。
戦争を食い止めるものは、
「私はこう生きたい」という強い意志ではないか。

野球がしたい。
サッカーがしたい。
かるたがしたい。
ピアノが弾きたい。
本を読みたい。
卓球がしたい。
テニスがしたい。
パンを焼きたい。
好きな音楽を聴きたい。
美味しいごはんが食べたい。
美しい服を着たい。

それを求める強い意志。
それが人生の中から、日々の生活の中から、奪われるのが戦争だ。

それらを奪われたくない。
求めているのは、ぼやっとした平和なんかじゃない。
私の心が生かされるための「平和」だ。

学び続け「知的である」ことは必要だけれど、
それと同時に、あるいはそれが叶わなくても、
「文化的である」ことが、「ヒト」として生きる生き物にとって不可欠なことだと、
この夏、『絶滅の人類史』『サピエンス全史』を読んで考えている。

一冊の本を読まず、ひとりの哲学者の言葉も知らず、
ただただ田畑を耕す営みが「culture(文化)」の語源であることが、
すっと腑に落ちる。


憲法第25条は、「文化的最低限度の生活」が人々に保障されることをうたっている。
Article 25. All people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living.

「文化的」の「文化」は生きる意志を育む。
自らの「文化」を求める気持ちは、平和への意志を確かなものにする。

意志を持って生き、平和を切に希求するベースを、あまねく人々に保障せよ、
と、日本の憲法は為政者たちに命じている。


「甲子園」を「箱根」を奪われ、あきらめ、復活させた経験を、日本はした。
もしも反省という言葉があてはまるのであれば、
それらをあきらめない、それらを奪われぬために、全力を尽くすのが経験してきた者たちの役目だろう。
語り継ぐべき「戦争」は、戦時下の空襲や飢餓や死者を目の当たりにした話ばかりでは無い。



どうか、今も、これからも、
好きなことに、夢中になれる国になれ。
好きなことを、追求できる国であれ。

by shiho_kato | 2018-08-25 10:35 | 読書ノート | Comments(0)