「自己実現」や「生きがい」探しは、何をかの目くらましであることを知れた日。
それを追い求めずとも、「私は私でよい」と思えた日。
やっと、大人になれたことに気づいた。
毎日を丁寧に生き、
自分の中にある欲求を丁寧にすくいとり、
他者との折り合い、自分がいま置かれている環境との折り合いをつけながら、
今を生きようとするとき。
「自己実現」も「生きがい」も、なんとも空虚なワードだ。
若さとは、今を「生きる」とはどういうことか知るための葛藤の時代であり、
「自己実現」も「生きがい」も、その葛藤のトンネルの出口にかざす光でこそあれ、
人生そのものを照らす光ではけして無い。
『死にがいを求めて生きているの』は、そんな若き時代を、
ずいぶんと丹念にすくいとった小説だった。
朝井リョウの作品は、好きじゃない。
世間で言われるほど、人を描けているような気がしないから。
それでも、今回のこの小説は、読んで良かったなー。と思える作品だった。
タイトルが良くない。
最近の流行りなのか、なんなのか、タイトルの良くない小説が多い。
小説に限らず。
今年本屋大賞をとった瀬尾まいこの
『ぼくらのごはんは明日で待ってる』とか『君が夏を走らせる』とか、
作品はとても好きだけど、このタイトル、日本語としてダメじゃない。
どうにかならないかな、と思う。