むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:学習ノート( 129 )

特別展「人体ー神秘への挑戦ー」@国立科学博物館

家を出たら、雨が雪に変わった。
桜が開花したばかりだというのに。

桜に雪降る中を、上野へ出かけた。
上野公園の桜も開花して、雨の中でも桜を観る人が少なくない。
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今日の上野は国立科学博物館の「人体展」を観に。
入場は時間制で、整理券をもらい入場時間までを待つ。
興味のある人、たくさんいるんだなぁ。
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毛細血管は、地球を2周半する長さを持つそうだ。
それがこの体内に収まっているのだから、不思議だ。

成人男性の血液は約5リットルだとか。
たったそれだけ?たったそれだけで、この身体を回してるんだから低燃費だなーという気がする。

心臓は1分間で同じく約5リットルの血液を送り出すそうだ。
1分間の脈動によって5リットルを押し出すということなのかな。
1分間ごとに、全身の血液は一回りするということ?

この人体展での目玉は、(私の理解が間違っていなければ)脳を介さずに臓器同士が直接に連絡をとりあっているということらしい。

心臓は疲れると、腎臓にサインを送って、疲れを軽減するために尿の量を増やすそうだ。
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筋肉は運動すると、脂肪細胞に働きかけて病原体とかをやっつける免疫細胞の働きを活発にさせるそうだ。
運動することで、ガンを含め何かしら身体から追い出したいそれへの攻撃が活発化する。
同時に、免疫細胞が暴走したときには、まぁまぁとなだめる役割も担ってくれるそうだ。
適度に免疫細胞が働くようにサポートするのが筋肉。だから適度な運動が必要なのだそうだ。
ダイエットのためだけではなくって。
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そんなこんなの機能がひとっつの体におさまっている。
それぞれが、ひとっつも不具合なくきちんと連動して動いていることの方が奇跡のようだ。

走らない(走れない)日も、頭と、お腹とを満たして、満足な休日でした。
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by shiho_kato | 2018-03-21 17:31 | 学習ノート | Comments(0)

図書館像、図書館員像 ー図書館総合展 2日目ー

昨日に引き続き、図書館総合展。

午前中は、
「インターネットの次にくるもの」を聴きたかったのに、
うっかり違う講座に入ってしまった。

でも、意外と面白かった。
スタイルから考える図書館員のお話なんだけど。

スタイリニストに、イメチェンを図られた図書館員さん、ラピッヅワイドの広瀬容子さんのお話。
ほんとうに文字通りの「スタイリング」のお話だった。

色あいや、服装や、髪型や、靴や・・・。
こんな話を聞く機会は自ら選んでは無いので、興味深く聞かせてもらった。

その前の仁上さんのお話のほうが興味が深かったのだけど、聞きそびれ。
仁上さんのお話は、図書館員の専門性のお話と、職種のイメチェンのお話。
これ、すごく考える。

司書というと、本の番人、本の専門家のイメージで来たけれど、
いま求められている図書館に居てほしい人の像は、それとは違うよなーーー。
って、つらつらと考えていた。

仁上さんのお話はちゃんと聞けなかったから、本で読んで、補習。
『図書館員のためのPR実践講座』2014年10月
図書館員に求められる新たな能力と、図書館員像を示してくれていた。

図書館における、プランナー、コーディネータ、プロデューサー、インストラクター、クリエイター、ファシリテーターとかとかとかなんですって。

必要な能力も、従来の検索力、教育力、創造力などなどに加えて、企画力、広報力、演出力、エンタメ力、政治力、交渉力、、、。

そうだよね。そんな感じだよね。
本云々じゃないよね。って、これはこれでストンとくる。


抜け出して聞いた次の講座では
ファブラボのお話を聞きました。

本だけが資料ではなくって、製造物を知的資料としてみる観点で、未来の図書館を考える、というお話。

ファブラボっていうのは世界50カ国、600箇所で行われている、作り物工房のこと。
共通のファブラボって名乗るために、ファブラボ憲章っていうのがあって、
それにのっとって運営できているところが名乗れるらしい。
貧困で、何かをつくる体験をする機会に乏しい子どもたちに、つくることを経験したり、楽しさを知る機会にしたりするために、無料開放デーを設けることがひとつの条件になっている。
あ、また、ここでつながった。子どもの貧困への支援だ。

講座は、途中から飛躍しすぎて支離滅裂で、パネラー同士だけがわかりあい、会場は見事においてけぼりにされるヒドさだった。

でも、少しわかったのは、図書館はそういう「製作」の場にもなった方がいいんじゃないかってこと。そういう工房を備え持った方が、いいんじゃないかってこと。
文化祭直前の生徒たちの使い方を見ていたから、いっそうそう思う。


午後のもうひとつの講座は
慶応大学の井庭崇さんの『Life with Reading』のお話。
キーワードを使って、読書への親しみ、理解を深めようっていう取り組み。

キーワードへの説明があり
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実際にそのキーワードを使って、隣あった方とおしゃべりする時間があり、
「なるほど、こうやって、おしゃべりしながら読書への理解を深めるのか」という体験ができた。

たまたま隣の方が、以前にお会いしたことのある都立高校の司書さんで、
たまたまランニング専用の腕時計ガーミンをされていたので、
すごく話が盛り上がって、もっとお話したくなった。

Life with Readingの三つのカテゴリーの中の、最後は「創造的読書」だった。
その中のキーワードは、
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それらを読みながら、わかったことがある。

そうか、本は道具なんだ。道具に、なったんだ。

発送の素材を探し、スタイルを見つけ、デザインに着想を得る。
もう、はじめから終わりまで通して読むことはしない。
そういえば、つまみ読み、斜め読み、拾い読み、どれももう通しで読むことを
前提としない、「正しい読み方」として指導されているではないか。

ようやく新たな時代の図書館像に追いつくことができた。


だから、図書館はワークスペースなんだ。
頭の中のワークではなくって、実際に、書く、話す、折る、切る、貼る、とじる、打つ、考える、作る、場所なんだ。

はさみや、のりや、ホチキスや、マジックや、PCや、ホワイトボードや、それらと並んで本が、必要な場所なんだ。

そういうことか。




すごくスッキリ、ストンと落ちて、そして考え始める。

私は、そのワークスペース(工房)の主になることができるのか?
なりたいのか?
どうなのさ。



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by shiho_kato | 2017-11-09 17:26 | 学習ノート | Comments(0)

「1人でもアクティブラーニング!?」 ー図書館総合展1日目ー

図書館総合展でがっつり学ぶ二日間、パシフィコ横浜へ。

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「アクティブラーニング」の言葉が闊歩するようになって、「じっくり自ら黙々と深める学び」が軽視されているような気がしている。

図書館はどちらかというと「じっくり自ら黙々と深める学び」に親和性があり、
他者との対話を重視した「聞く話す学び」ができる場としてふさわしいかどうか、、、。
一足飛びに飛びつけないなぁ、と思っていた。

なので、この「ひとりでも」っていうのは知りたくて知りたくてのキーワード。
講師は野末俊比古さん

「主体的」は、self-motivationではなく、self-directive。これはすっと落ちる。
そうか、動機付けの問題ではなく、次は何を調べよう読もうの学びのプロセスを決めて進めていくことが、アクティブラーニング的な「主体的」なのか。腑に落ちた。与えられた課題を自らの動機付けに引き寄せるのはなかなかに難しいことであるから。

「対話的」の定義は「意見を共有する」ことであり、その鍵となるのは現在考えていることを「外化」(会話でもいいし紙に書くのでもいい、自分以外の人に伝えるようにすること)することだ、との説明。ふむふむ。

他者との対話ではなくとも、自己との対話もありというお話でつまづく。自己との対話、つまり「私」の中にあるものを「外化」し、それを受け止めて返すのも「私」であるとするならば、それを対話と呼べるのだろうか。
とてもとても質問してみたかったけれど、講師の先生への質問のタイミングを逃して残念。

この講座では、要所要所でそのテーマについて両隣の人とのおしゃべりタイムがあり、前後6人でのおしゃべりタイムもあった。
体系的にアタマに入れたい時に、「何を話そうどう話そう」で過剰に緊張するのでそのドキドキは、邪魔になるなぁ・・・、と思っていたのだけれど、各学校(主に大学)の取り組みのカケラカケラを聞くことができて、欲張りな私の満腹中枢を満たしてくれた。

予期せぬ刺激や、予期せぬ情報、予期せぬ視点は、たしかにこの「ワーク型」「対話型(自己との対話を現時点では除く)」では得られることを実感した時間でした。


それと、講座を実施しているリアルタイムで、手持ちのスマホから一言コメントを入れることができて、それを見ながらおしゃべりタイムや講師のコメントを得られる体験は面白かった。

このリアルタイム一言は、かるたのクイーン戦をniconico動画で見るときにツイッターがざーざー流れてくるのと仕組み的には同じ(もちょっと整理・管理されているけれど。名前が出ないとか、参加者をその場に居る人に限定できるとか)。
いま、大学の講義ではこういうの使う先生もいるのだろうな。私の時にも、60人とかを超える大教室の講義で、こういう仕組みがあったら、もちょっと退屈せずにいられただろうな。




by shiho_kato | 2017-11-08 12:46 | 学習ノート | Comments(0)

柳田邦男さん

勤務先でナマで柳田邦男(さん)のお話を聞ける幸運!!!

年齢を考えても、うっかりすればもうこれっきりかもしれない貴重なチャンス。


絵本の話、童話の話、園児の描く絵の話、飛行機事故の話、命の話、加害被害の話、もりだくさんのお話、話を広げすぎではないだろうか、、、
心配しながら、ハラハラしながら、生徒たちの斜めうしろから見守った。

杞憂。
当たり前だ。
ぜんぶ、計算づくでのラインナップ。
それもこれもちゃんと一本につながる。


中高生に向けてお話するのははじめてだそうだ。
つかむところをつかみ、落とすところを落とす。
小さな一粒を大海まで広げる。


あぁ、今日はプレゼンテーションではない。
ふっと思う。

このところ聞く講演聞く講演、数字がとにかく多い。
人に何かを伝えるときに、数字は雄弁。数字をじょうずに使うことは、プレゼンテクニックの基本中の基本。


今日はちがう。
数字を出されなくっても、エピソードと経験と体験と自ら考えとが盛り込まれたお話は、力強い。

ひとつ尋ねれば、次から次へと様々な人の言葉や著書が紹介され答えられてゆく。
自らの体験と、他者の言葉と、それを膨大に積み重ねてみしっと詰まった知は、数字を用いなくとも、強い説得力を持つ。

そして、わからないことは「わからない」と言ってくれるんだ。


久しぶりに、このひとのお話はまるっと信頼しても大丈夫だ。
そう思いながらお話を聞くことができた。
余韻で、もっと本を読みたい。手ごたえのある知に触れたい熱が、ぽっぽぽっぽする。





講演会終了後、柳田さんをよんだ先生に、この人の話をぜひとも聞きたい、できればこの先聞ける可能性の低い人で。そういう人が居たらぜひ名前をあげて、と言われた。

過去には加藤周一、立花隆をよんだことがあるそうだ。

たとえば?
大江健三郎とか?
たとえば?
名前浮かばないなー。
私の知筋、ダメダメだなー。







by shiho_kato | 2016-12-13 16:24 | 学習ノート | Comments(0)

TSUTAYA図書館

図書館総合展に出かけた。

毎年毎年、かける時間の割に得るものが少なくて、時間的コスパが悪いと思う。
去年はとうとう行くのを止めた。

今年は学校で取り入れたい内容についての、ど真ん中のフォーラムがあったので、期待半分で出かけた。

メインは午後。
午前はつまみ食いのつもりでフォーラム二つをはしごした。

そのふたっつ目は、武雄図書館、海老名図書館で評判の著しく悪いTSUTAYAの運営する図書館のお話。
これが、驚く程よかったのです。

市場に揉まれる人は、よくよく勉強しているなー。よくよく工夫しているなー。

いくつか具体的に良いな、と思ったのは次の点。

・スタッフに外国人と障害者を雇用。共に働く仲間と、どう働ける環境を作るかの工夫が、そのまま利用者サービス(多文化や障害者)に活かせる。
・子どもの貧困で、たとえば英語に触れる機会の無い子どもが、図書館のミニセミナーで英語話者のスタッフが講師の工作を企画することで、工作しながら英語に触れられる。文法を教えることはなくっても、やりとりの英会話ができる。(英語だよ!のハードルを低く。無料で。図書館に来る子なら誰れでも)
・今後展開しようとしている岡山県高梁市の図書館は、過疎対策。地域創生を狙う。高齢化率40%。朝から町の食堂に集まってお酒を飲む高齢者。せめてお酒は夕方からに、朝から夕方まで居座ることのできる場としての図書館を作ろう。広い市内に、点在する住民に移動図書館サービスは必須。本だけではなく、買い物代行・パンやお弁当日用品などものせて、頻繁に巡回。図書館だから利益は不要、本以外の配達マージンで移動図書館車のガソリン代だけ出ればOKな低コストサービス。


子どもの学習支援の拠点としても、TSUTAYAの運営する図書館だったら場をひらいてくれるのではないかとうい期待が持てる。
高梁市に関しても、また先んじて始まった多賀城市に関しても、事前のリサーチ、マーケティングをしっかり行って、その地域で必要とされること、優先順位、それらの中で図書館をどう位置づけるか、練って練ってそれぞれ1館ごとに組み立てていることがわかった。

紙の本を置くばかりの図書館は、いずれ淘汰されていく。
その危機感は図書館界にものすごく強くあるそうだ。日本ばかりではなく世界各国で。

「静かに本と向き合える」核の部分は守りつつ、外壁を壊して、枠組みを壊して、目に見えて地域や社会とつながる場になっていくことは、ぜひに!と思う。
知を逞しくしていく上でも、逞しい知を底支えする確かな知識が並ぶその場所はふさわしい。

いくつかそういう取り組みをあらたに打ち出している図書館がある。武蔵野プレイスもしかり。
それらは、この先も輝きを帯びた場所として残っていくだろう。


とか言ってないで、まずは海老名図書館に足を運んでみなくっちゃ。
理念と実際が一致しているだろうか。
口ばっかりの実践無しではお話にならない。



(おそらくTSUTAYA図書館の弱点は選書。「底支えする確かな知識」を軽んじてしまったところにあろうと思われる。未整備の基盤に、立派な柱を建てちゃったところにあるのではないだろうか。仮説を確かめに、いざ海老名へ…いつ行けるかな)

by shiho_kato | 2016-11-09 17:24 | 学習ノート | Comments(0)

創造、貢献、挑戦

勤務先の学校目標。

司書として、司書の仕事に対しての私は、
とてもじゃないけれど「貢献」に乏しい。

もっと有能な、もっと経験豊かな、もっと優れた資質を持った「司書」がたくさん居る。
あの人や、あの人や、あの人や。


では、あるけれど、附属校の未来に対して、
枠組み作りから変えていきたい!という動きに関しては、
挑戦し、創造し、多少の貢献ができているのではないか、、、という気がする。


勤務先の図書館の中においての貢献度は、私の技量では、大きくあがらないけれど、
勤務先を含む、同系列の学校図書館に対しては、他の「司書」さんたちにはし難いことを、しているような気がする。


私の動きを称して、近しい仲間は「壊し屋さん」と言い、別の仲間は「イノベーター」と呼ぶ。
残念ながら、どちらも当たっていない。壊すつもりも、新たに作りだすつもりもないのだもの。
いま一生懸命そこで働いている人たちがもっと働きやすくなるために、そのことで学校の中にある図書館がもっと子どもやおとなたちにとって「あって良かったな」と思える場所になるために、動いているだけなのだから。


こんな動き方を黙認・追認してくれる、今の職場でなければ、私は「司書」などと名乗れないかもしれない。

「「貢献」とは、自らに「挑戦」し、「創造」した結果として実現したものを、社会に役立てることをさしています。」
学校目標に向けて、私も育てられているひとりです。

by shiho_kato | 2016-10-27 12:06 | 学習ノート | Comments(0)

仕事をすること、働くこと

働き始める前は学生→院生だった。

何の、誰の、役にも立たないことに夢中になっていて、がむしゃらに一心にそれに向かっていた。
ワクワクとドキドキと、あれ、つながる?これとそれ、つながっちゃいそうじゃない?
って、ひとりでとっても楽しく研究生活を送っていた。

あまりのひとりよがりの楽しさに、
人様にも世の中にもなんだかとっても悪いような気がして、
罪悪感なだめのようにボランティアに足を踏み入れ、
それがなぜだか、自分を食わせるためのお仕事となった。

そんな流れで「働く人」になった私は、仕事のイメージとか、働く意義とか、あまりちゃんと感がえたことが無いままに現場に身を置き、「働くということ」を走りながら考えはじめるようになった。

そもそもがボランティアから始まっていて、それは程なくできた新たな制度・組織体のあり方の「NPO」へと移っていく。
「無いところに新たなものを作り出す」「できないことをできるようにする」そういう世界。
見よう見まねができることはし、誰もモデル無く、誰もやったことがないことは自分で考えてあれこれ試しながら作っていく。
そういうキレイな言葉で言えば「創造」的な現場に居た。
キレイにまとめずに言えば、なんでも屋さんであり、私の能力の限界は、その仕事(NPO的には活動)の幅の限界とイコールになってしまうので、常に常に「越え」続けなくってはならなかった。

私が創意しないものは存在すらしない、その責任たるやなんと大きいことか。いまあらためて振り返ってぞっとする。
逆に言えば、限界を決めて、できないこと、やらないことを決めてしまえば、そこまでの仕事でもあったのかもしれない。
当時は若かったから、周囲の人が望む、すべての(まずもって無理な)理想に向けて、道なき道を走ることがその職場における私の存在意義だと思っていた。
走れなくなったら、おしまい。用無し。
そう思っていたら、本当にそうだったから、私がひとり気負っていたわけではないのだろう。

その日々を過ごしながら、もちっと落ち着いて、ルーティンでコツコツ静かにする仕事のあり方もあるのではないか。
私は走り・走らせる仕事よりも、腰を落ち着ける仕事が向いているのではないか。
隣の畑は青く見えるもので、そう夢想したこともあった。


そして、30代も半分を終えて、今の仕事に着いた。
静かに見える仕事だ。いたって、静かな現場だ。
でも、一年間、同じ仕事をやり続けることはない。
昨年と今年は違う。先月と今月と来月は違う。昨日と今日と明日は違う。

前職よりはゆっくりだけれど、常に常に変化しながら、入れ物のあり方も変わるし大枠だって変わるし、その中におさまるコンテンツとか、何より人が変わっていけば、それに沿った、それに応じた、できるだけ適した形に、姿を変えていこうとするのが自然だ。

仕事とは「動いていくもの」だと知った。
これだけ静かな現場でもそうなのだから、世にある仕事という仕事は、仕事に携わる人たちは、
今日を、昨日とは異なる位置に(前だったり、上だったり、右だったり、、、)持っていこうとしながら、働いている。

新たなあれをするために、今までのこれをもちょっとスムーズにできるやり方を工夫したり、とか。
そんな小さな工夫を一年間重ねれば、おのずと去年とは違う今年になる。

そういうふうに、「働くこと」を把握してきた矢先。

40年とか、30年とか、20年とかいうながーい単位で、
その年月を動かさずに来た「仕事」を目の当たりにした。

私が誤解しているのかもしれない。
かつてを知らないのだから。
かつてと今では、大きく動いてきたのかもしれない。

でも、時の流れからは隔絶された場として、維持されたそこを見た衝撃、話を聞いた衝撃に、
いま打ちのめされている。

そんなことが、どうしたら可能になるのだろう。

・・・


私が知らないだけで、この世界の多くに、そんな場所、そんな仕事のあり方で、時だけがうつろっている「仕事」がたくさんあるのかもしれない。

本当に、知らなかったんです。

だから受けた衝撃が大きくて、「そんなあり方はイカンだろう!」と、否定することで、自分の中のバランスを保とうという機能が働いている。
それでは「理解」に一歩も進まない。


仕事とは「走る」もので、「無いものをあることにしていく」もので、「どうしたらいい?を常に考える」もので。
それが行き過ぎることへの警告もあり、失敗もあり、ブレーキを踏みながら再起をはかったはずなのに。


どうして、変えようとしないのか、
どうして、他に学ばないのか、
どうして、工夫しないのか、
どうして、知ろうとしていかないのか、
どうして、どうして、どうして、それを「仕事をする」と言えるのか、「働く」と言えるのか、渦が、胸いっぱいにあふれている。

うずくまる人に添う仕事や、先に進めない人に添う資格を取得したりしているにも関わらず、
そんなにも、どうして攻めの渦を自らの内に発生させてしまう私は狭量で、意地悪だ。

どう抑制してコントロールしたらいいのか、手に余っている。

by shiho_kato | 2016-10-25 21:25 | 学習ノート | Comments(0)

「私」の仕事

学校図書館職員のガイドライン。
それを満たすことに熱意が沸かない。


どうしてだろう、、、考えに考えて、たどり着いたのは、
それが今居るこの学校の図書館にそぐわないからだ、と気がついた。

ここにそぐわない機能や、能力や、プログラムや、コンテンツを、「学校図書館であるから」という理由で、無理くり取り込む必要は無い。

取り込まないことで、ここが停滞するのであれば、問題だけど、
今のところ、この図書館は、この図書館に必要なものをガツガツ吸収しようとしている。

そのガツガツ吸収するところには、私だからできる仕事との一致割合が高い。
司書だからできる、のではなくて、私だからできる。
裏を返せば、どれだけ優れた司書であっても、司書スキルだけではできないことがある。

この場のガツガツが落ち着いて、私ではなく、司書スキルの高い人が必要になる日が、いずれ来る。
私は、それを目指して仕事をしているから。

私だからできる仕事の割合が3割を割るようになったら、ここにふさわしいスキルを持つ人に譲れるように。
そのときには、その人が力を発揮できる環境が、ある程度整えられているはずだ。

知ることを知っていることは大事。
だからといって、知ったことを1~10まで、我がものとしなくてはならないという呪縛から解かれて、
私は私の仕事ができるようになる。


揺さぶられ打ちのめされながら、足を踏ん張れる自らのポジションを、三度四度、何度でも見つけ直せばいい。


by shiho_kato | 2016-10-25 18:08 | 学習ノート | Comments(0)

大阪出張

学ぶことがたくさんあって、
考えること、思うこと、感じたことで
四六時中言葉が湧き出し続けている。

この洪水が落ち着いたら書こう。

でも、駄文、駄思、駄考上等で、今書かなかったら、無味乾燥な感想しか書けなくなるかも。

いかんせん時間が足りない。
考えをまとめるにしても、書くにしても。

by shiho_kato | 2016-10-21 08:08 | 学習ノート | Comments(0)

備忘録メモ JLA 全国大会

IFLAの学校図書館基準が改定された。
ひとりで読んでも変更点、目新しい点、今日的な点、問題点、ちっともわからないので、こういうときはお勉強。
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項目すべてを網羅する「学校図書館」は、なんてビジネスライクな場だろう。
能力を上げるための、技能を習得するための、訓練の場のように思えてくる。

そして、そういう場をコーディネートするのであるから求められる「学校図書館員」像は
高技能、高能力、スーパーウーマン、スーパーマン。
隙の無い人であり、常に常に向上心の塊でなくては現在の目まぐるしく情報の届け方やあり方が変わる状況を常に常に先取りして、「教え」られる人でなくてはならない。

目指せるかな・・・
ぼんやりと未来の私を浮かべる。

もしも、この先も図書館に携わり続けるとしたら、「面白い」「胸に響く」「足元を揺るがす」「心安らぐ」「しんと静かになる」そういう目には見えない耳には聞こえないひとりひとりの「揺らぎ」にざわめく図書館に身を置きたいと思う。
探求・探索スキルや、思考のステップや、組立や手順や、そういったことをこそ、授業において学べばいい。
スッキリと整理できないもやっとぼやっとしたものとつきあうためのゆるい箱が、学校の中にある図書館の大きな大きな役割の一つではなかろうか。

だってね、「生きるってなに?」という一生付き合わなくってはならない問いに苛まれ始める年齢であり、未来の自分の姿として進学とか職業とか「おとな」の像を結ぶのに手こずりながら、もがき足掻きながら、過ごす年齢だから。

今の私でいい、なんて言うつもりはからっきしない。
知識も技量も足りなくて、劣等感ばっかりで、もちっとなんとかならないのかな、と自分に呆れながら、でもやれることをやってみよう、今この目の前の図書館に、目の前の生徒たちに、目の前の先生たちに必要なものはなんなのか、それを見極める目は養おうと思うんだ。
そして、たとえそれが図書館員として、あまり実の無いことでも構わない。


by shiho_kato | 2016-10-16 21:49 | 学習ノート | Comments(0)