むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:読書ノート( 654 )

8月・9月に読んだ本

8月1日から9月20日

小説以外の本を読む強化期間のつもりだったけど、
まだまだぜんぜん少ないなぁ。。。

スペンドリニ・カクチ『私、日本に住んでいます』
松本仁志『筆順のはなし』
おかべたかし『くらべる日本 東西南北』
山下泰子『男女平等はどこまで進んだか』
山崎昌廣『人体の限界』
谷本道哉『スポーツ科学の教科書』
村串栄一『台湾で見つけた、日本が忘れた「日本」』
内田樹『人口減少社会の未来学』
水野俊平『台湾の若者を知りたい』
熊谷高幸『天才を生んだ孤独な少年期』
島村輝『少しだけ「政治」を考えよう』
福田健『話し方ひとつでキミは変わる』
ユヴァル・ノア『サピエンス全史』
更科功『絶滅の人類史』

與那覇潤『知性は死なない 平成の鬱をこえて』

矢部太郎『大家さんと僕』

寺地はるな『大人は泣かないと思っていた』
村山早紀『星をつなぐ手』
久保寺健彦『青少年のための小説入門』
桜木紫乃『ふたりぐらし』
姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』
池井戸『下町ロケット ゴースト』
小手毬るい『あなたにつながる記憶のすべて』
小手毬るい『君が笑えば』
彩瀬まる『不在』
畑野智美『水槽の中』
垣谷美雨『四十歳、未婚出産』
森沢明夫『きらきら眼鏡』
近藤史恵『震える教室』
蛭田亜紗子『エンディングドレス』
本城雅人『傍流の記者』
須賀しのぶ『エース・ナンバー』
小嶋陽太郎『放課後ひとり同盟』
奥田亜希子『青春のジョーカー』
イノウエミホコ『男子弁当部1』
垣谷美雨『結婚相手は抽選で』
吉田篤弘『おやすみ、東京』



by shiho_kato | 2018-09-21 20:32 | 読書ノート | Comments(0)

幸福論*見田宗介『現代社会はどこに向かうか』

年に一回くらい、「わ!やられたっ!!」と思う新書と出会う。

昨年は

今年はこれ。

「高度経済成長」という用語を、現代社会を表すキーワードとして
社会の授業で習ってきたわけだけれど、
それが古い社会のとらえ方であること、
成長が古い価値であることを体感しながら、大学卒業後の20年を過ごしてきた。

暉峻逸子さんの『豊かさとは何か』(岩波新書、1989年)とか
廣井良典さんの『定常型社会ー「新しい」豊かさの構想』(岩波新書、2001年)とか、
節目節目に出会って、新たな今必要な価値はこっちだよね、と自分なりの把握をしてきた。

橘木俊詔さんの『格差社会ー何が問題なのか』(岩波新書、2006年)に始まり、貧困の問題を考えたりとかしながら、
震災の大きな揺さぶりもあり、社会は価値を完全に転換させたと思っていた。

このところでは、平田オリザさんの『下り坂をそろそろ下る』(講談社現代新書、2016年)とか、『転換期を生きる君たちへ』(晶文社、2016年)あたりで、もう「成長」は頭打ちで舵を切ったんだ、と机上では理解しつつ、
ちまたの政治とか経済とかが、ちっとも古い価値感から抜け出ることなく、
過労死を増やしたり、非正規雇用を相も変わらず多くしたり、長時間労働を助長したり、
社会とはちぐはぐなものだ、と、苛立ちともあきらめともつかない気持ちを抱えながら生きている。

過労死でバシバシ人が死に、長時間労働でドンドン人が病み、非正規雇用で雇用がガタガタになり、
子どもは減り、労働人口も減り、やっとやっと、「経済の成長」を第一義としない、
豊かな文化や芸術や、日々の生活の充実が、この世に生まれ生き続ける幸せの礎であることを、
共有できる社会づくりが始まったようだ。


子どもたちが大人になるまでに、間に合いますように、整いますように、
と切に願っている。


私の中で、「誰がなんと言おうとも、「生きることの価値」はこれである」
ときっぱり定まっており、ピクリとも揺らがぬほど、頑固に根が張っている。

なので、今更、何を読んでも、ふむふむそうかそうか、としか読めないので、
あえてそこに時間を割きたくは無いな、と思うのだけれど、
何を思ったのか、見田宗介の『現代社会はどこに向かうか』を、うっかり読んでしまった。


もう、びっくりだ。
アメリカやヨーロッパの青年たちは、すでにそれら価値の転換を終え、
「共存」「脱物質主義」を、自らの価値に変えているではないか。
持ちすぎるほど持つ愚を排除し、身の丈に応じた充実をはかる尺度を持って生きているではないか。
データとして、明確に表れるほどに、それらの価値は社会化されているではないか。

印象でも、操作でもなく、空気でも、感度でもなく、
データとして、それを示した見田宗介さんに感謝したい。


父は見田宗介が大好きだ。
実家の書架で見慣れた名の見田さんの本を、これまでだって、読んできているはずなのに、
さしてピンと来ていなかった。

今回、それらのデータを示してくれた事も含めて、
揺さぶられように、見田さんいいじゃん!!!と、はじめて思った。

いいじゃんいいじゃん、とってもいいじゃん、と、勢いよく読んでいって
最後の最後に、野本三吉さん(加藤彰彦さん)の名前が出てきて、思わずのけぞった。
なんだ、知り合いなんですか。なんだ、同類なんですか。

私の生きている世界は狭い。
これぞ、という人は、さして多くは無いってことなんだろう。
その少なさを残念にも思えば、何を考えている人か知っている人たちが
私の見える社会のフレームを形作っていることに安心も覚える。


ここしばらく不勉強だった空白を埋めるべく、見田さんの本を読んでみよう。


そして、今、すごく言いたい。

停滞しているかのような社会の雰囲気に、内面磨き、自己充実のための方法を探す人が多いのか、
あっちにもこっちにも、「幸福論」が満ちている。

でもね、幸福とは何かを論じたり、考えたりするよりも、充実を「体感する感度」を育てた方がいい。

書かれた幸福を追求しようなどとしない方がいい。
自らの内面をうんとまげて書かれた「幸福」に近づけようとコントロールなどしない方がいい。

今日の食事が美味しい、今日の眠りが心地よい、じわっと楽しい気持ちがわいてくる。
それをキャッチして、日々の充実として受け取れる感度を高める方がよほどいい。

その一点で、「幸福論」を説く哲学書など読まぬほうがいい。
司書の、本を読まぬ勧め。

そして、もし「幸福」とは何かを知りたくて読むのならば、見田宗介の『現代社会はどこに向かうか』を読めばいい。
「自分の幸福」を知る方法を教えてくれる。

by shiho_kato | 2018-09-20 18:54 | 読書ノート | Comments(0)

朱野帰子『対岸の家事』『わたし、定時で帰ります』

前作『わたし、定時で帰ります』に続く、『対岸の家事』

うまい!
『わたし、定時で・・・』も、やるなぁと思ったけれど、
『対岸の家事』は、それに輪をかけて、うまい!

絶滅危惧種「専業主婦」を主軸に据えた作品だけれど、
描いているのは労働構造、子育て環境の劣悪さ。


現在、管理職をやっている人は、どっちも読むべきだ。
これから管理職にならんとする人は、どっちも読むべきだ。

労働法の勉強なんて、後からでもできる。
目の前の社員たちを理解する気があるなら、
雪崩をうって減りゆく労働者人口に歯止めをかけたい人たちこそ、読まなくちゃならない。

結婚する人は、『対岸の家事』は、必読書だ。
子どもが生まれんとする夫婦は、生まれる前に完読しておいたほうがいい。
子どもが生まれて険悪化している夫婦は、今すぐ読んだ方がいい。
いま、苦しい子育てをしている人は、もう今日にでも、読んだ方がいい。


私は、鍵カッコつきで「専業主婦蔑視」をしている自覚がある。
その「蔑視」をすべて、丁寧に丁寧に、ときほぐしてくれた。
もう蔑視もしなくて済む、私(働く母)とあなた(専業主婦)はここで違って、ここで同じだ、と、
ハッキリさせてくれたから、モヤっとした感情に振り回されることは、もう無い。

そして、読み終えて、ようやく「専業主婦もいいもんだな」「私にもそういう選択肢があったかもしれないな」と思えるようになった。
つまり、専業主婦という在り方が、私自身のアイデンティティを侵すものでは無くなった、ということだ。


できれば、続編を期待したい。

できれば、ジェンダー云々とか、男女平等とか、女性の社会進出とか、
声高に、型どおりに、行われている主張のひとっつひとっつを、
こんがらがった糸を解きほぐすように、ひとっつひとっつ作品にしていって欲しい。

加納朋子も上手だけれど、制度をえぐれない。
朱野帰子は、ひとりひとりを丁寧に描きながら、制度をえぐる力がある。
この勢いで、よろしく頼みたい。

by shiho_kato | 2018-09-14 11:01 | 読書ノート | Comments(0)

須賀しのぶ『夏空百花』

太平洋戦争で中断した「甲子園」(高校野球大会)。
終戦の翌夏に、再開させるために奔走した人たちの話。


読みながらふつふつと思う。
戦争を食い止めるものは、
「私はこう生きたい」という強い意志ではないか。

野球がしたい。
サッカーがしたい。
かるたがしたい。
ピアノが弾きたい。
本を読みたい。
卓球がしたい。
テニスがしたい。
パンを焼きたい。
好きな音楽を聴きたい。
美味しいごはんが食べたい。
美しい服を着たい。

それを求める強い意志。
それが人生の中から、日々の生活の中から、奪われるのが戦争だ。

それらを奪われたくない。
求めているのは、ぼやっとした平和なんかじゃない。
私の心が生かされるための「平和」だ。

学び続け「知的である」ことは必要だけれど、
それと同時に、あるいはそれが叶わなくても、
「文化的である」ことが、「ヒト」として生きる生き物にとって不可欠なことだと、
この夏、『絶滅の人類史』『サピエンス全史』を読んで考えている。

一冊の本を読まず、ひとりの哲学者の言葉も知らず、
ただただ田畑を耕す営みが「culture(文化)」の語源であることが、
すっと腑に落ちる。


憲法第25条は、「文化的最低限度の生活」が人々に保障されることをうたっている。
Article 25. All people shall have the right to maintain the minimum standards of wholesome and cultured living.

「文化的」の「文化」は生きる意志を育む。
自らの「文化」を求める気持ちは、平和への意志を確かなものにする。

意志を持って生き、平和を切に希求するベースを、あまねく人々に保障せよ、
と、日本の憲法は為政者たちに命じている。


「甲子園」を「箱根」を奪われ、あきらめ、復活させた経験を、日本はした。
もしも反省という言葉があてはまるのであれば、
それらをあきらめない、それらを奪われぬために、全力を尽くすのが経験してきた者たちの役目だろう。
語り継ぐべき「戦争」は、戦時下の空襲や飢餓や死者を目の当たりにした話ばかりでは無い。



どうか、今も、これからも、
好きなことに、夢中になれる国になれ。
好きなことを、追求できる国であれ。

by shiho_kato | 2018-08-25 10:35 | 読書ノート | Comments(0)

小手毬るい『炎の来歴』『アップルソング』

昨年の夏、『星ちりばめたる旗』で、ノックアウトされた。
戦時に日本からアメリカンドリームを求めてアメリカに移住した日本人のお話。


ぼやっとした作品も多いけれど、彼女の書く戦時・戦後ものは作品は信じることができる。私の原田マハの作品への信頼に近しい。


今年の夏は『炎の来歴』と『アップルソング』を読んだ。
『炎の来歴』はベトナム戦争が始まる前の、日本人の僕とアメリカに住む「彼女」とがやりとりするエアメールで全編が構成される。

『アップルソング』は、終戦直後にアメリカに渡り報道カメラマンになった「茉莉江」の足跡を、911テロにて崩壊したタワーから救出された「私」がなぞる物語。

私は戦争ものが苦手で、よほど強い動機が無い限り積極的に読むことをしない。
小手毬るいの作品はうっかり読まされてしまい、次を読みたくなるんだ。

『アップルソング』の茉莉江は、学生闘争、あさま山荘事件、御巣鷹山墜落事故、チェチェン紛争、911を写し、作品の中ではベトナム戦争にも触れる。


敵と戦うのが戦争ではなく、人を殺すのが戦争であり、そこに大義はない。

そのことを悲しみと怒りと決意をもって、描くことで、強く抗議する。

「敵から守ろう」そう思った瞬間から、人は憎しみに支配される。
「敵」を生まないことこそが、平和への早道であることを、胸に深く刻まれる。


彼女の作品は815の終戦の時期に読むのにふさわしい。
そして、もっともっと読まれて欲しいと思う。


by shiho_kato | 2018-08-16 16:03 | 読書ノート | Comments(0)

7月に読んだ小説19冊

なんか、あんまり本が読めてないなぁ・・・。

と、思っていたけれど、この1か月半くらいのうちに読んだ小説を列挙したら、
記録をつけているものだけで18冊。意外と多かった。

「読めていない」と感じるのは、読もうとしている小説以外の本を
高く積みあがっていくばかりで、読み崩せないでいるからだろうか。


面白かったのは朱野帰子『わたし、定時で帰ります』
タイトル通り、だらだら残業にも猛烈残業にも与しない私のお話。
勇んで残業しようとする人たち、有休取るのを悪のようにのたまう人たちに、
盛大にイラっとする。もっと毅然と切り捨てて欲しい気もするけれど、
多少の譲歩がある展開にしておくことで、共感者は増えるだろうなーと思う。
残業込みで仕事が成り立つ労働市場は、早いとこ淘汰された方が良い。
人は労働のために生きてるんじゃなくって、生きるために労働してる。
しっかり防御して、自分の生活と文化を守らないと、
アクセク搾取され続ける労働の仕組みに飲み込まれてしまう。


直木賞を取った島本理生『ファースト・ラブ』
島本理生の小説は、恋愛恋愛していてのらりくらりとしてぼんやりと歯切れが悪くて、相性が悪い。
直木賞候補にあがった時点で、どうしようか、先送りしていたけれど、読んで良かった。
やっぱりぼんやりした作品だなーとは思うけれど、スパっとした大きな展開ではないことの
誠実さみたいなものを見つけることができた。
甘ったるくってかったるくって長く回避してきたけど、最近の作品は読んでみたいかも、という気持ちになった。
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おんなじく直木賞候補になった窪美澄『じっと手を見る』
窪美澄もねっとり恋愛恋愛系だから、回避している作家。
今回読んでみたけれど、やっぱり合わなかった。
介護に携わる若い世代のお話というので、興味を覚えたけれど、その設定が活かされているどうかは疑問。
まはら三桃の『奮闘するたすく』の方が、介護とか、老いとか、生きるとか、死ぬとかを考えることができた。


五十嵐貴久『スタンド・アップ』も爽快なお話だった。
自分の足でスックと立つために、「負けない自分」と出会う必要がある。
そのためのチャレンジは、何歳からでもOKだ。
私はすぐヘタレる(自己評価を下げがちになる)から、
しっかり立ち続けるため、何度も何度も「負けない自分」に出会わなくっちゃならない。
走ることで、わかりやすく「負けない自分」を確認し続けているんだなー、と気づいた。
そういうことを気づかせてくれるパンチがある、お話だった。


木地雅映子『あたたかい水の出るところ』
読んでいるときはそうでもないのだけれど、読み終えた後に印象に残る作品だった。
きっと、『湯を沸かすほどの熱い愛』とか『メゾン刻の湯』とか、銭湯ものには共通する熱さと温かさがあるんだろうなぁ。
お風呂屋さんでの、生身の自分になることの心もとなさと、解放感と身の軽さと。
取り繕ったり、偽れないからこそ、うっかり交わしてしまう信頼とか安心があるんだろーな。


意外に良かったのが、中澤日菜子『Team383』
この人は高齢の人たちを描くのが上手い。
私は気を緩めると、高齢のヒト差別が働く。
今のダメダメダメな社会を構築しておいて、のうのうと老後を迎えやがって、っていう腹立ちを持っているから。
腹立ちは眠らせておくに限るので、定年を迎えた人たちが主人公になるような小説は読まないことにしている。
だけど、この人が書くお話は、読める。共感もする。
ドラマにもなっていたけれど(見てないけど)『PTAグランパ』とかは、ほんと面白かった。
いくつになっても、わだかまっていることをそう容易には解決できず水にも流せず抱え続けるものなんだなー、
いくつになっても、友情とかおせっかいとかで踏み込んでくるのをうまく交わせず、
それ故に、先に進むことができることがとてもたくさんあるもんなんだなーとか。
子どもたちと私とが、核のところでは大して変わりがないように、私とずっと上の年齢の人たちも地続きであることを教えてくれた。


・・・・・・・




by shiho_kato | 2018-07-31 18:53 | 読書ノート | Comments(0)

図書館の自由と学校図書館と「読書指導」

簡単に、私の意見を書いておこう。

・「読書指導」において、学校図書館の貸出履歴は、生徒・教員で共有されることがあることを、貸出を始める前から生徒にあらかじめ知らせてあれば共有はOKである。あるいは、履歴を生徒に戻し見られたくないものは消してもらった上でならOKである。

・しかし、貸出履歴以外については、触れるべきではない。たとえば「自殺や殺人についての本に関心を示している生徒がいる」などということを、学校司書が教員に知らせるべきではない。
・学校図書館で借りている本が、生徒の読書のすべてだととらえたら大間違いである。それとともに、学校図書館外での読書については(たとえば購入したり、たとえば公立図書館の本を借りて読んでいるもの)、生徒の自己申告で把握すべきである。


私は小学生のときに、個人課題(私だけに課せられた課題)で、読書ノートを教員に提出させられていた。
そこに記すのは、読んだものすべてではない。また、その日読んだものではなくてページを埋めるために過去に読んだものも記したりした。
その教員が、なんの意図でもって私ひとりにその課題を課していたのかわからないのだが、少なくとも、彼の勧めた本を読もうとは思わなかった。なぜなら、読書の「量」で言えば、彼よりも私の方がはるかに多いであろうことがわかっていたから。実際、彼の勧めてくれた本は、当時の私にはとても退屈で、消化読書的なものだった。

私が高校生のときに、現代文の教員に受験に向けて個人指導をしていただいていた時期がある。
彼の勧める文章は、がんばって読んだ。テキストの一部分だけではなく、その本一冊を読もうと努力した。受験期のその読書は、時間の使い方としては負荷になっていたかもしれない。
それでも、理解できるようになりたい、わかるようになりたいと思って読んだ。彼が圧倒的に私よりもずっと多くの本を読んでおり、読んだ本も読んでいない本についても、深く理解していたからだ。


私は、思う。
「読書指導」をしたいのであれば、生徒ひとりひとりの読書の傾向を把握することよりも先に、多くの本を読んでいることが必要だ。
多くの本を読み、多くの本にふれた上で、自分の読書の姿勢と傾向とを生徒に示すことだ。
そこまでした上で「君たちの読書傾向を知り、読書指導を行いたい」と宣言することだ。



ちなみに、学校図書館にある本など、世にある本のほんの一部でしかない。

学校図書館法が定める学校図書館の資料は「学校教育に必要な資料」である。
「学校教育に必要な資料」でしかない、と言ってもいい。


学校司書として、この学校で好まれ使われる必要であろう本を頭と心と情報を駆使して選書し、生徒に沿った蔵書構築をしたいと努力しているけれど、どんなにがんばっても「選書」のフィルターを通したものしか置けないのだ。

私自身、毎日図書館に身を置きながら、この図書館の本と、ほぼ同じかそれを上回るくらいの本を公立図書館で借りて読んでいる。
この学校図書館には合わない、そぐわないが、私が読みたい本はあるのだ。
選書権を持つ私とてそうなのだから、生徒はいっそうそうだろう。



学校の中にある図書館で、互いに顔と名前を把握されている図書館で、自身の読む本が、すべて「読書の自由」を守られ、プライバシーを守られていると、無邪気に信じられるような子どもでは、私は無かった。


そして私の読書活動において「ごく一部」でしかない学校図書館の利用履歴を教員に把握されたからといって、読書の自由を侵害されたと憤るほど、私の読書の世界は狭くなかった。


そういう経験を踏まえて、学校図書館への期待が低い私は、(あるいは、リクエストには限りなく応えたいと思いながら、それだけの期待を託されるだけの信頼は得られ難いと葛藤しながら仕事をしている身として)「学校図書館」か「図書館の自由」かの二項対立はあまり意味が無いと思っている。


学校図書館における読書の記録は、生徒自身があらかじめ教員に知られることを承知していれば生徒がコントロールできるものだ。
そのコントロールを尊重すべきだと思っている。


そういうわけで、冒頭の結論に至る。



*****
学校図書館法
(定義)第二条  この法律において「学校図書館」とは、小学校(盲学校、聾学校及び養護学校の小学部を含む。)、中学校(中等教育学校の前期課程並びに盲学校、聾学校及び養護学校の中学部を含む。)及び高等学校(中等教育学校の後期課程並びに盲学校、聾学校及び養護学校の高等部を含む。)(以下「学校」という。)において、図書、視覚聴覚教育の資料その他学校教育に必要な資料(以下「図書館資料」という。)を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによつて、学校の教育課程の展開に寄与するとともに、児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備をいう。


*****
図書館の自由に関する宣言
第3 図書館は利用者の秘密を守る
 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
 図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない
 利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。




by shiho_kato | 2018-07-03 18:45 | 読書ノート | Comments(0)

「似ている」シリーズ&「目で見る」シリーズも、とても面白い

「くらべる」シリーズは面白かった。
さらに面白かった「似ている」シリーズ。
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『似ていることば』
たとえば、ふくろうとみみずく、あふれるとこぼれる、足と脚、使用と利用、舟と船などなど。

『似ている英語』
たとえば時計ClockとWatch、小さいlittleとsmall、笑うlaughとsmile、木treeとwoodなどなど。

写真で見比べて楽しい。
写真なので、インプットされやすい。
写真なので、英単語がわからなくっても一緒に楽しめる。
写真なので、似たような絵を身の回りに探してしまう。読み終えた後の余韻がハンパ無いのです。



そして「目で見ることば」シリーズ①~③
耳で聞き、言葉として読んではいるけれど、頭に浮かべることができない言葉、ことわざがある。
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「互角」が、本当に「ツノ」のことだったとは
「ひいき(贔屓)」が、カメに似た生き物ことだったとは
「引っ張りだこ」が、天日干ししているタコのことだったとは
「へそくり」「へそ曲がり」のへそは、おへそのことでは無かったとは
「じぐざぐ」は、擬音語でも擬態語でもなく、英語だったとは
「シカトする」の「シカ」が、「鹿」のことだったとは
「ぐれる」がハマグリのことだったとは
「長いものには巻かれろ」の「長い」のは、ゾウの鼻だったとは
「ひょんなこと」のひょんは、イスノキという樹になる実の鳴り音だったとは


発見の驚きは、写真で紹介されることでびっくりが5割増しになる。

一緒に立ち止まって、一緒に考えることができる。
なんだかいいシリーズだなぁ。


かつての『ピースブック』と『とっときのとっかえっこ』と出会ったときの衝撃に似ている。
人にすすめたくなる。

by shiho_kato | 2018-07-01 18:35 | 読書ノート | Comments(0)

「くらべる」シリーズが面白い

写真集に分類してもいいと思う。
くらべるシリーズ。
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『くらべる時代』では、昭和と平成をくらべる。
プリンやオムライスや公園や横断歩道や花束や果物かごやポストや。
むむちゃんぷうちゃんと、昭和の方が好きとか、平成じゃないよねとか、違いがわからないとか言い合いながら読む。

『くらべる値段』では、お寿司や金魚やサッカーボールやかまぼこや畳や中トロを比べる。
かまぼこ、片や300円、片や3,600円!!!

『くらべる世界』では、世界のじゃんけんやフルーツパフェやぎょうざや折り紙を比べる。

『くらべる東西』では、東京の銭湯と大阪の銭湯を比べ、関東のおいなりさん関西のおいなりさんを比べ、関東の卵サンド関西の卵サンドを比べる。


どうして違うんだろう、何が違うんだろう、どこが違うんだろう。
ワクワクくすぐられる。


ひとりで読むよりも誰かと一緒に読む方が遥かに面白い本がある。
あれこれ言い合うのが面白い。
どうして、何が、どこがに、あれこれ推論を立て合うのが面白い。


ぷうちゃんやむむちゃんには、もっぱらマンガや小説の「物語」をお勧めしてきた。
物語じゃなくっても、一緒に楽しめる本があると知ったら、急に世界がぐいぐい広がる。

by shiho_kato | 2018-06-29 18:08 | 読書ノート | Comments(0)

交通遅延と小林昌平『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』

6月の後半になって交通機関の遅延が増えている。

祝日の無いひと月に、私は疲れ気味だが、
疲れているのは私だけではないのだろう。

先日はとうとう山手線外回り(時計回り)が完全にストップしてしまい、
振替輸送を利用して、勤務先に向かった。

地下鉄網を駆使して、どのルートをたどるか検討しながら、
乗換のいちばん少ないコースを選んだ。

そうしたところ、改札出口も、乗換先の改札入り口も、おびただしい人人人。
入場規制と、乗車規制がかかっており、ぎゅうぎゅうの混雑。

乗換三回のコースを選んだ方が賢明だったか・・・。

ぐったりした気持ちを周囲から閉じて立て直すために本を取り出す。
最近は、小説と小説以外の二冊持ち。とても物語に入り込める気がしなくて、
小説以外の本を開くことにする。(ぎゅうぎゅうの中で開くわけだが)

今日入れていたのは『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』
仕事/自意識・劣等感/人間関係/恋愛・結婚/死・病気の章に分かれ、

それぞれにたとえば
緊張してしまう/自分を他人と比べて落ち込んでしまう/ダイエットが続かない/人の目が気になる/毎日が楽しくない/人生がつらい・・・
などのお悩みがあげられ、お悩みひとつに一人の哲学者の「答え」を示す。

いちばん最初のお悩みは
Q:「将来、食べて行けるか不安」
A:アリストテレス「快楽は本来、「活動」にほかならず、それ自身目的なのである」『二コマコス倫理学』
著者意訳:「将来の目的は計画をいったん忘れ、今この瞬間のやりたいこと、やるべきことに熱中せよ」「「今、自分にとって楽しく充実しているという状態」がそのまま「すでになしとげた成果」になる」「自分が向いていると心から感じられる作業に全力で打ち込み、充実した手ごたえを感じながら毎日を生きている人を、世界が放っておくことはないでしょう」

つまるところ「やるだけやったら、次がある」のだそうです。
何これ面白い!!


Q:「やりたいことはあるが、行動に移す勇気がない」
A:デカルト「困難は分割せよ」『方法序説』
著者意訳:「本気で取り組める小さなゴールに刻んでいったら、夢は夢でなくなります」

おぉ、これも私がしばし実感する「夢は叶う」そのものだ。デカルトとは気が合うな。


Q:「人の目が気になる」
A:ミシェル・フーコー「懸命になって『ゲイ』にならなければならない」『同性愛と生存の美学』
著者意訳:「世間体や他人の視線を気にしてしまう自分を統御しながら、勇気をもって自分のありようを自由に発揮させて生きていく努力」
参考:森博嗣「非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である」『自由をつくる 自由を生きる』

アリストテレスやデカルト的に生きてると、おのずとフーコーの言う「自分を自由に発揮させる」ことにたどり着く。もはや人の目など気にしている暇は無い。


Q:「嫌いな上司が居る、上司とうまくいっていない」
A:スピノザ「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する」『エチカ』

嫌いを苦手と置き換え、上司をヒトと置き換え「苦手なヒトが居る、そのヒトとうまくいっていない」とすれば、使える場面がぐんと広がる。


Q:「重い病気にかかっている」
A:ウィトゲンシュタイン「世界の事実を変えることはできないが、世界を幸福に生きようと意志することはできる」『論理哲学論考』

これは、このまますーっと入ってくる。



質問とは呼応しないけれど、この二つはぐっと来た。

アドラーの「自分の課題と他者の課題を分離せよ」『人生の意味の心理学』
ヘーゲルの「敵対した「私」と「あなた」がわかりあい、「われわれ」として一段上に上がることが大切である」『精神現象学』




いちばん大好きと思ったのは、こちら。
Q:「夜、孤独を感じる」
A:ショーペンハウアー「早くから孤独になじみ、孤独を愛するところまできた人は、金鉱を手に入れたようなもの」『幸福について』

孤独は金鉱ですって。なんでもかんでも絆とかつながりとかネットワークなんて。友だちは100人もいらないし、お昼ご飯はひとりで食べていいし、移動はひとりでしたいし、勉強会だってひとりで参加したいし、ひとりが好きで何が悪い。


面白くて夢中になるうちに、改札を通り、地下鉄に乗り、目的の駅に到着。

通勤は苦痛だ。されど
「読めよ、さらば救われん」


哲学者たちが身近になったひとときでした。



※本著は面白い。でもどこが哲学者本人の言葉の引用で、どこが著者の解釈による意訳なのか、その言葉の典拠はなんなのか、書かれ方があいまいなのが残念。

by shiho_kato | 2018-06-26 18:54 | 読書ノート | Comments(0)