むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:読書ノート( 635 )

神田茜『ぼくの守る星』『七色結び』

『ぼくの守る星』は、ものすごくいい小説だった。

子どもは自分の困難を言葉にしない。

環境の難しさを受け入れて生きようとする。
ツラさも、悲しさも、受け入れて生きようとする。

オトナは、「教えて」「話して」「(助けを)求めて」と、言うけれど、
話すことも、伝えることも、教えることも、助けを求めることも、逃げることも、とても難しい。

誤解も、無理解も、無関心も、そっとじっと耐えてやり過ごす以外の手段をとれるのは、
よほどの勇気と強さがある子どもだ。

そのことを、丁寧に教えてくれる小説だった。


だから、そっと静かに脅かさないように観察して観察して観察して、
知ろうとすることが、どんなに大事か。

寄りそうのも、見守るのも、ちょっと違う。
そばに居て、じっと見て、そっと寄って行って、
一緒に考えてもいいと思ってもらえるオトナになること。
そこからだ。


私が教員になるのはムリだな、と思った。

初めに無理だと思ったのは、教えることよりも、探ることに気持ちが行ってしまうから。
次に無理だと思ったのは、探ることに気持ちが行きながらも、ひとりひとりときちんと対することができそうにないから。
最後に無理だと思ったのは、圧倒的に選ばれない場合のほうが多いのに、選ばれないオトナで居ることに耐えられそうにないから。


それでも、翔や、まほりや、山上の傍らに立つことができたなら、と、ふと願ってしまう。

瀬尾まい子や、まはら三桃を思わせる子どもの描き方。もっと読みたいと思わせる。


『七色結び』はPTA小説。
加納朋子の『七人の敵がいる』『我ら荒野の七重奏』に類する、理不尽なPTA活動と戦ったり、折り合いをつけたりしていくお話。
キリキリ身に迫る理不尽さを、ユーモアにくるんでくれるのが、ありがたい。


私も、昨年度は中学・小学のPTAの専門委員、今年は校外の委員。

いずれも、子どもが在学しているならば「必ず」一度はやらなくてはならない委員。
病気も仕事も関係ないあたりが、ボランティアとか、任意とか、どこぞのお話?という感じだ。
「これはいけない」という意識を持たれている一握りの人たちが、じわじわと増えていくところを待つばかりだ。

もうだいぶ子どもたちが大きくなってきて、私自身も経験を経てふてぶてしさも増してきて、
適度に抜くことができるようになってきた。
おススメは、仕事休めないときは休まない、具合が悪いときは具合が悪いので行けないと申し入れる。
できないときは、できないで良い。それでも、なんとかなるくらいの仕事なのだもの。

一番気にかかるのは、よそ様の陰口。
それだって聞こえない風をよそおっていれば、時と共に薄れて霧散するものだから。


二冊とも、あたたかな空気が漂う小説だったから、もっと他の作品も読んでみたい。


by shiho_kato | 2018-03-30 16:17 | 読書ノート | Comments(0)

伊格言『グラウンド・ゼロ-台湾第四原発事故』

こんなタイトルだけれど、小説である。
台湾の小説。


おおづかみのあらすじは以下のよう。

無責任な政府のもとに作られた安普請の原発は、稼働前から安全ではないことがわかっていたにも関わらず、
政治家の威信のために稼働し、事故を起こす。福島での事故が起こったばかりであるのに。
事故原因を知っている者は、記憶を抹消されていく。
原発を利用した政治家の利権の構造を描きながら、原発を象徴とするような文明の発達・発展の中で、
生まれながらに障害を持つ者たち、生まれながらに生育環境に恵まれない者たちが、居場所を失ってきた。
文明を捨て、自然と共に生きることで、それら障害者や環境のハンディを背負った者たちも、等しくあることを取り戻そうとする。


原発が、政治的、権力的、あるいは外交的な「道具」として用いられるのは万国共通であることがわかった。
電力供給のため、環境のため、では無いのは、日本ばかりでは無いってことがわかった。

現場の作業員、専門技術者たちは、不具合を知っている、わかっている。
そのまっとうな指摘は、権力闘争の前では一蹴されるっていうのも、日本ばかりでは無いってことがわかった。

人々を無駄に危険にさらしておきながら、その危険を沈静化する形で手柄を取る、バカバカしい一人芝居を政府が演じることも、日本ばかりではないことがわかった。

利権を、お金を持つものたちの、愚かしさは万国共通なのだろう。


そして、日本では原発と水俣を、根を同じと考えて、理解し、学び合い、解決していこうとする流れがあるけれど、
台湾でも、障害者や貧困者と原発を、根を同じと考えて、理解し、解決していこうとする考え方があるのだと知った。


この小説を読める者同士であれば、
国は違えど、原発について、共に語り合えるだろうなぁ。


****

先日、文藝春秋の編集者が、日本には作家を育てる土壌があると話していた。
文芸雑誌における連載によって、食っていけるだけの収入を保証しながら、
いい作品を書けるように支える文化があるのは日本だけ、なのだそうだ。
こんなにたくさん「小説家」が居るのは日本だけなのだそうだ。

他の国の小説家は、兼業作家であって、他に職業を持ちながら書いている人が多くを占め、
専業作家がこんなに多いのは日本の際立った特徴であるとお話されていた。

(塩田武士の『騙し絵の牙』は、それを書いたお話だった)


あまり海外の小説は読まないので、数少ない経験で述べるのもどうかとは思うけれど、
この台湾の小説をはじめとして、海外の小説は、盛り過ぎていて重たい。

あれもこれも書き込み過ぎで、こちらの解釈にゆだねてくれる部分が少ない。

日本の小説は、ぼんやりし過ぎたり、欠片に過ぎて何を言いたいのかちっとも伝わらないものも多々あるのだけれど、
小さな物語を、手をかえ、品をかえ、いくつもの作品として、紡ぎだせるゆとりがあるように感じる。

書く側のゆとりが、読む側のリラックスにつながるとまで言ったら言い過ぎかもしれないけれど。
気楽に、気軽に手にとれる小説は、そういうふうに書かれているのではないかしら、と思う。


たかだか一冊での感想なので、ほんとうのところ、海外の小説はどんなものがどんなふうに書かれ、どんな位置づけにあるのか、もちょっとちゃんと知ってみたいなぁ、と思った次第である。

すぐそんなことも忘れちゃうので、備忘録的に、書いておく。



by shiho_kato | 2018-03-22 16:56 | 読書ノート | Comments(0)

宮部みゆき『この世の春』上下

時代物だと思い、後回しにしながら、ようやく手をつけた。
読み始めたら、一気に上下巻終わりまで。

宮部みゆきという人は、勝負する人だ。
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この作品の主題は虐待。
父から子への性虐待。子を男児に設定しているところがさすがだと思う。

虐待による解離症状を主な設定として真正面から物語を動かしていく。

テキストに書かれた「虐待」とそれを原因とする症状について学ぶよりも、
この小説を読んだ方が、生々しく、忘れがたく、刻まれる。

知識が、体温を持ったときの迫力を、痛いほど感じながら読んだ。

そして、こちらは真直ぐ活用しない方がいいとは思うけれど、
どう治療していき、何によって救われていくのかも、得られるものが少なくない。

小説のチカラ、物語のチカラを最大限に用いてグイグイと押していく。
小説の、物語の、面白さが微塵も揺らがない。
優れた小説家であることを、あらためて思い知る。


by shiho_kato | 2018-03-12 16:18 | 読書ノート | Comments(0)

谷村志穂『移植医たち』

医療小説や医療ドラマから、先端医療の知識を得ている。

海堂尊のバチスタシリーズもそう。
ちょっとおどろおどろしいけれど久坂部羊の医療ミステリーシリーズもそう。
この二人はどちらも自らが医者で小説を書いている。

子どもたちの好きな、コード・ブルーとか、アンナチュラルとか。
医療系のドラマは、次から次へと出てくる。

ガンは半数の人がかかる病気になった。
もうガンのメカニズムとか治療の方法、種類とかは、学校教育の中でひとつ組み込んでもいいのじゃないか。

谷村志穂の『移植医たち』は、タイトルどおり脳死移植、生体肝移植の先端に携わる医者たちのお話。

移植は、とてもお金がかかる。

読みながら、もしも子どもたちが移植による治療でしか延命できないとしたら、
私はごめんなさいと誤って、断念するしか無いだろうな、と思った。
敗北感と、自身のチカラの無さに打ちのめされる気持ちになった。

脳死判定が行われるようになり、あらかじめ意思表示されたドナーからの臓器移植が法的に可能になり、
移植医療の手術以外の治療は保険適用となったそうだ。
今なら、私にも手が届くほどの金額におさまるのだろうか。


*********

脳死に関して、臓器の移植に関して、



自らの身体については、もう40数年も生きた身として、
ヒト様の一部をいただいて延命することに躊躇いがある。
もう十分ではないか、という思いと、子どもたちがせめても自ら稼いで生活していける姿を
見届けるまでは、何ものかにしがみついても生き延びなくては、という気持ちと。

私の臓器を提供することに関して。
私はまだ答えを出せていない。
そんなに優秀な臓器を持っていないということがひとつ。
もうひとつは死んだあとの体が私のものかどうか、うまく判断がつきかねる。


まだ生き尽くしていない子どもたちのことを考えた時に
救ってあげたい命もあれば、救ってほしい命もある。

あまり考えると沈んでしまうので、サラリと考えると、
むむちゃんやぷうちゃんが臓器提供するしない、ということについては、本人が希望しない限りしない。
15歳未満は家族の承認があれば提供できるようだけれど、当人たちからの申し出が無い限り、
私が提供の判断をすることはない。

命のことはスッキリとは決められない。
思い至らない、思い及ばない、「なにか」を内包している問題だという直感ばかりが働いて。
たとえば柳田邦男さんはなんと言っているのだろう、とか。
あらためて、お考えをお聞かせ願わなければ、と思う。

by shiho_kato | 2018-03-09 16:33 | 読書ノート | Comments(0)

「私の本屋大賞」

2018年の本屋大賞候補作が発表になった。
他の賞よりも、楽しみにしている本屋大賞。
この候補作10作で、新たに「出会えて良かった」と思う本を紹介してくれるから。
本屋さんが、これこそ売りたい、買わせたい、読んで欲しいと思う本を紹介してくれるから。

だけど、今年は残念ながら、ふるわない。

小川糸『キラキラ共和国』と、村山早紀『百貨の魔法』は、それぞれ昨年の候補作『ツバキ文具店』と『桜楓堂ものがたり』の続編。新しみを感じられなかった。前作のファンであれば、勧められなくても読むだろう。

今井夏子『星の子』は、腰の据わらない作品でふわふわしたハッキリしない危険さを作品が支え切れてない感じがして好きじゃない。

辻村深月『かがみの孤城』は、不登校の子どもたちのことをよくぞ書いてくれた!と言いたくなる作品。この小説に救われる子どもたちが、少なからず居る。「埼玉県の高校司書が選んだイチオシ本2017」になったのもうなづける。

塩田武士『騙し絵の牙』は大泉洋を宛書にした小説。小説家が、小説を書くことを職業とするための「文学雑誌」「文芸雑誌」の役割を伝えてくれてはいるけれど、同じ雑誌作りネタでは伊吹有喜の『彼方の友へ』の方が物語としての面白みも迫力もある。あるいは、昨年塩田の昨年本屋大賞の候補作になったグリコ森永事件を扱った『罪の声』の方が、ずっとインパクトが強い。

伊坂幸太郎『AX』は、妻の顔色をひたすら気にし続ける夫のお話なんだけれど、わかるそれ、あるよねあるよねあるよね、って連打したくなる面白さがあった。

柚月裕子『盤上の向日葵』薄幸な将棋の天才少年の物語。同じネタでは「三月のライオン」がずば抜けて素晴らしくいい作品として仕上がっているから、こちらはチープで古臭い印象。

原田マハ『たゆたえども沈まず』は、私には大きな影響力が与えてくれたけれど、常連さんになりすぎて、あらためて本屋大賞で発掘とはいかない。

今村昌宏『屍人荘の殺人』は、今村のデビュー作で鮎川哲也賞を受賞して、「このミス」「週刊文春」「本ミス」の3冠を達成したんですって。3冠達成は、東野圭吾の『容疑者Xの献身』以来だとか。。という、前提があってもなくっても、私にはちっとも面白さのわからない本だった。ゾンビに襲われる設定そのものがチープなんだもの。

知念実希人『崩れる脳を抱きしめて』は、未読。

****

この一年、もっといい作品、あったよね。他に、読んでもらいたい本あったよね。

そんなわけで、この一年の「私の本屋大賞」(日付は、読んだ際に書いた記事リンク)
私が、読んで欲しいなぁと思う本。

伊吹有喜『彼方の友へ』 
→ 1月20日(直木賞候補作)
読みたいものを作ることと、戦争のことと、女性が働きながら生きることと。それらの要素全部ひっくるめて、ひとつの作品によくぞ収めた。伊吹の作品で対象期間に出版された『なでしこ物語 地の花』もとってもいい本だ。二作あげてもいいくらい。

恩田陸『錆びた太陽』
→ 4月22日
政府はこのあと、原発をどうするつもりなのか。AIが政策決定に用いられる未来はあるのか、SFチックだけれどリアリティがある。私たちは警戒しなくっちゃならないことをさらりと書いている。

加納朋子『カーテンコール!』
→ 2月5日
学校ってなんだっけ?教育(機関)ってなんだっけ?を、考えさせてくれる。いま、少子化で子どもの数は減り、定員割れを起こす大学もあるいは高校も多々ある。学ぶことが身を守ることになる、知ることが身を守ることになる、学んだり、知ったりすることで、自分の命を人生を歩む力を養うことができる。そのシンプルな原点を伝えてくれる小説だ。この理詰めでガンガンいくんじゃなくって、でも、現実によくありがちなことを、ふわふわと、やさし~く描き出すところが、小説のチカラならでは、と思う。

小手鞠るい『星ちりばめたる旗』
→ 10月2日
実際にあった歴史で、知らないこと、思いも依らなかったことが本当にたくさんあるんだ、と教えてくれる。
国と国の狭間で、アイデンティティの置き所に惑い、生き抜くための過酷な決断を次々と迫られることが、その当時は本当に多々あったことを、教えてくれる。今だって、生きやすい社会とは言えないけれど、戦争のあった時代よりはよほどよほどいい。戦争のあった時代に、決して戻すものか、と思う。

鈴木るりか『さよなら、田中さん』
→ 12月8日
子どもの目線から描く貧困、地域、格差、を、決してドロドロじゃなく、さらりさらりと描いてくれる。
天童荒太が書くと、これでもかこれでもかこれでもか、と苦しくなってしまうような設定を、笑いを含みながら、ほんのちょっと憂いながら、描き出してくれる。

住野よる『「か」「く」「し」「ご」「と」』
→ 3月25日
思春期アルアルのオンパレードだ。思うよね、そうだよね。うかがうよね、戸惑うよね、後ずさるよね、いっちゃうよね。端から端まで、隅から隅まで、ズイズイとそれで満ちていて、もし私が高校生の時にあるいは中学生のときに読むことができたなら、あぁ私ばっかりがこんなにあれこれ考え過ぎておかしい訳ではないんだ、、、って、ホッとしたと思う。この本を読める人となら、分かり合えるような安心感を得られただろうなって思う。

瀬尾まい子『君が夏を走らせる』
→ 9月20日
まだ、「私」が決まらない時期ってある。自分で自分の輪郭を決められることができない時期に、外側から勝手に輪郭を決められたり、レッテルを貼られるのは、大迷惑だ。まだ「人」とはいいがたい、愛らしい神のような年齢の子どもたちが居て、その一挙手一等足に魅了されたりかき乱されたりする。その、「まだ」の人たちは相性がいいと思うんだ。彼らがいい形で出会うことができ、それを見守るオトナが居る時に、何が起こるのか。
このお話を読むと、待てるオトナになりたいものだ、とも思い、待てるオトナと出会えますように、とも思い、見つけるのに焦るなよ、とも思う。

→ 5月30日
部屋を出ることができない、家を出ることができない、学校に行くことができない、のには、やっぱりどんな時だって、理由があると思っていい。当人は、「理由」に思い当たり、それを消化あるいは消火するための時間と、それとどもに消えてしまったエネルギーを溜めるための時間が必要で、エネルギーを溜めるために、安心できる場所、信頼できる仲間が必要なんだ。それを周囲は、むやみやたらに突つき回して引張りだそうとしてはいけなくて、勝手にこちらの憶測を巡らし過ぎても行けなくて、「伝えて」もらえる私になるための努力に、全力を尽くすんだって、このお話を読んでつくづくと思う。

宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』
→ 9月19日(直木賞候補作)
ISのこととか、ほんとのところ、よくわからないじゃない。ニュースや新聞や新書で、そのからくりというか仕組みというか、今何が起きていて、どうしてそうなったかって、解説はされているんだけど、自分の身に落ちるようにフムフムと思えるほどの理解には至らない。でも、この小説を読んだら、よくわかった。反政府派と体制側との争いや、隣国との関係性がどう影響するのかや、国連軍やその他の大国の干渉が、どんなふうに良かったり悪かったりするのか。
映画でも、小説でも、池上彰でも、手段は何でもいい。理解するってことは、自分がどこに居るか知るってことだ。今を、生きてる仲間の一人であることを自覚するってことだ。


唯川恵『淳子のてっぺん』
→ 11月13日
昨年亡くなられた田部井淳子さんを描いた小説。第一人者って、ガツガツギラギラした何者をも凌駕し、何者をも追随させない強さが必要な気がする。しかも相手は手ごわい山と、手ごわい山を踏破せんとする屈強な男たち。だけれど、田部井さんは静かだ。ガツガツもギラギラも無い。動かざること山の如しではなく、しずかなること林の如しでもなく、「しずかなること、山の如し」だ。読みながら、山の恐ろしさを知り、それと戦うのではなく、そっと同化していこうとした山人の姿を見ることができる。

柚木麻子『さらさら流る』
→ 10月14日
リベンジポルノのお話。ふとしたゆるみや甘さは誰もがいつも持っている。常に鎧を身にまとっている人の方が、珍しい。いつでも戦闘態勢に切り替えられる方がよほど難しい。その「ふとした」「ついうっかり」のたった一回が、取り返しのつかない苦しみに転じてしまうようじゃ、うかうかこの世を生きられないぜ。「私がいけない」からではない。にもかかわらず。女性たちは(あるいは一部の男性たちも)どうして、こんなに用心深く気構えを持っていなくってはならないんだろう。
♯Me Tooのメッセージが今頃、世を席捲するっておかしいよなー。もっと近代の早いうちに済まされているべきことだろうよ、と思う。これから年頃を迎える少女たちに(一部の少年たちにも)、ごめんね、という気分になる。


by shiho_kato | 2018-03-07 17:17 | 読書ノート | Comments(0)

「高校生直木賞✖埼玉イチオシ本」~高校生の読書~

3月3日のおひなさま。

鴻巣パンジーマラソンのハーフマラソンに参加した。
ひとりで行ったけれど、何人かの友人に会い、


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ありがたくも自己ベストを更新して5位入賞をいただく。
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鴻巣駅前のショッピングモールでは、ビッグひな祭りを開催中。
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勝浦のひな壇にはかなわない気がするけれど(と言っても見たことはない)、
こちらもビッグなひな壇。

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鴻巣から二駅戻ると「桶川」
午後は桶川駅前のショッピングモール内で行われた「高校生直木賞✖埼玉イチオシ本」~高校生の読書~に寄ってきた。

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勤務先の学校では、前回から「高校生直木賞」に参加している。
直近の直木賞候補作の数冊の中から各学校の推薦する本を決めて、選考会でどれをなぜ選んだか選評を交わし合い、最終的に「高校生直木賞」を決定するというもの。

その学校から推薦する本の話し合いは、有志の生徒たちによって図書館で行われている。
その話し合いがはじまると、ついつい耳がダンボになってしまう。
本について、小説について、物語について、真正面から話し合えるのはとても楽しそうで、
10代の彼らが、その作品をどう受け止めているのか、どう評価しているのか、ハッとさせられる。


この日の桶川では、その主催者である文藝春秋社から、雑誌「オール読物」の編集長と文藝出版局の編集者の方と、ふたりが参加され、選考の様子をたっぷり聞くことができた。
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質問の時間があったので、2月26日に発表された「大学生の読書時間0、半数を超える」をどう受け止められているか、お尋ねしてみた。

出版社側にも名案、妙案は無いようだ。
本を買うお金が若者に必要だ、というお話があったけれど、それはそう。
本屋さんで、「自分の本」を選ぶ経験をどれだけの子ども若者がしているだろう。
(むむちゃんぷうちゃんとて十分ではない。本は買うより借りろだし、買うにしてもよほど読みたい新刊本以外はアマゾンやヤフオクで手に入れているのだから)

本の子ども価格・若者価格みたいなものが本には適応できないものだろうか。
大学の生協では1割引きで本を買えた。あれはどういう制度なのだろう。
もう15年以上前になってしまったけれど、イギリスでは、子どもの衣料品や文具、書籍類は課税無しだった。(今もそうだろうか)



私は、繰り返しになるけれど、時間の確保が必要だな~と思う。

塾の時間、習い事の時間、部活の時間に追われずに、
進学できるだろうか、就職できるだろうか、の不安と対峙する時間に追われずに、
ぼんやりのんびりした気分で、「役にもならない本」に夢中になれる時間が、
本じゃなくっても、何の役に立つかわからぬものに夢中になってしまう時間が、
若い人ほどたくさんたくさん必要だと思う。
それが、若さの(就労する以前の子どもたち・若者たち)特権だったはずなのに。


何か、新しい答えや方向性を得られたわけでは無いのに、
何か、これからに開かれていく明るい気持ちで、トークイベントを聞き終えることができた。


それが義務で無いとしたら、私たちは「それ」にどうして取り組むのだろう。

楽しいから「走る」のであり、いつの間にか生きるための糧に「走る」。
楽しいから「かるたをとる」のであり、いつの間にか自分の人生を支えてくれる力になっていると感じられるから「かるたをとる」のだ。


「楽しい」をくすぐることのできる「読む」は、どうしたら可能か。

「楽しい」には決まりが無い。
つまり、答えは無数だ。




*****

一点だけ追記

この大学生の読書調査は、調査の厳密さに欠け数字の誇張であり、センセーショナルにあおっているだけだ、と発言された方がいらしたけれど、あげられた例を聞くに、残念ながら今回の調査結果そのものも、今回の報道の発表そのものも、しっかりとはご覧になっていらっしゃらない発言だった。
(月に0冊が半数近くという数字は別の調査)
私は存じ上げないけれど、図書館の関係者でエライ方らしい。
このところ、そういったお偉い立場の方々の、裏付けを確認なさらない「迂闊な」ご発言が目につく。


まただ。同じ図書館関係者にくくられたくないなぁ。と、がっかりしながら、
いやいやいいんだ、私は業界人にはならぬと決めているのだから。と、あらためて、頭が冷えた。

by shiho_kato | 2018-03-03 18:46 | 読書ノート | Comments(0)

小説以外の本を読む

まとまりのある時間がなんだか取れなくっても、
小説は切れ切れでもすっと読むことができる。

そんでもって、小説しか読めずにいたら、違う味が欲しくなって
積読のまま、読めないことにストレスを感じて悶々としていた。

そんな訳で、ちょっと気合を入れて時間を作って一気に片付けた。
『貧しい人を助ける理由』『ブラック職場』『国境なき医師団を見に行く』『健康格差』『ノーベル文学賞の舞台裏』


読める本、読み進めるのが困難な本がある。
『ブラック職場』や、『健康格差』なんかは、するする読める。
雇用・就労の問題と、生活の問題と、健康の問題って、本当にガッツリと組んでいて、
どれか単独では語れない。




貧困の問題をグローバルな観点で見たら・・・と思って読んだ『貧しい人を・・・』は、
なかなか読み進めるのが困難だった。翻訳本だからなのか、私のベースが足りてないからなのか。
SDGs の視点から見ると、貧困問題と温暖化の問題は、同時に取り組むべき、同時に解決していくべき問題なのだそうだ。
工業化や資本(経済)第一の方向転換によって、人口増や消費的なスタイルが加速して、それによって環境の破壊による地球の温暖化が進み、温暖化による災害は、食べるものをお金に寄らずに手に入れている(収穫や狩猟?)人たちにこそ大きな打撃を与え、お金を持つ人と持たない人の格差をより押し広げていくという循環。

だから、この地球上で暮らし続けたいのであれば、富を持つ人たちこそが(破壊を牽引してしまう立場にあるので)サステナビリティ(持続可能)について、よくよく考え、実現していく意思と行動力(財力を投じる)とを持つべきだ。というお話。
けっして、貧しい人に分け与えよ・・・みたいな施し的な慈善的なことじゃぁ無いんだよ、というお話。
なるほど、そういうロジックもありか。私の中に新たな引出しが一個増えた。

それにしても、温暖化と貧困問題とを因果関係の中で捉えたことがなかったから、使われている単語やお話の流れにイチイチつまずきながら読んだ。
久々に「読めない」体験をした。

読めない本は、一文一文、ゆっくり読んだ方がいい。
そのためには、ゆっくり読んで理解するための時間がどうしても必要だ、ということも忘れないでおこう。


・・・・・・・・・

以下は、今日出会って良かった言葉と情報の備忘録。


『健康格差』(講談社現代新書)から

①「どうして僕たちは困っている人を見て、悪い人だと思ってしまうのだろう・・・」慶應義塾大学 井出英策

そう、そうなの。
自分で自分の体くらいメンテナンスしなさいよ、って常々思っている。怠惰な人は好きじゃない。

だけどだよ、健康に気を付けてたってね、病気にはなるし、ケガもする。
だから、病気になっちゃったときに、ケガをしちゃったときには、もう仕方ないじゃない。
それに病気とかケガとかまで行かなくたって、努力する気力も時間も何もかもを削がれちゃってトホホっていう時が人生にはある。長時間労働なんて、まさにそういう「トホホな時」を作り出す主要なシステムだ。

だからね「病は気から」とかいう、それっぽい根性なんだか正義なんだかよくわからない力強い言葉はキライなのです。


②「僕は国家とか社会っていうのは、サイコロ振って変な目が出ても、ちゃんと生きていけるためにあると思うんですよ。」宇野常寛

いいこと言うな。そうか、国家ってそのためにあるんだ。
腑に落ちた。


③もいっこは、私の覚書。
平成6年(1994年)から平成26年(2014年)までの20年間で、年間の世帯所得は120万も下がったそうな。
*H6年664.2万円→H26年541.9万円(「国民生活基礎調査の概況 H16~H26」世帯所得の推移)
世帯所得がH6のままキープされていたら、この20年間で1500万9千円貯金できていた計算になるということらしい。
20年前とおんなじ仕事してたって、120万低い給与しか得られないわけで、それは自分が怠けてどうこうって問題では無い。





by shiho_kato | 2018-03-01 18:30 | 読書ノート | Comments(0)

大学生活協同組合連合調査「第53回学生生活実態調査」

大学生が本を読まなくなった?

2月26日の大学生活協同組合連合調査「第53回学生生活実態調査」の発表を受けて、
「大学生の読書時間0分が半数を超える」というような見出しのニュースをあちこちで見かけた。

ひとつ記事の例をあげると次のような内容。
・・・・
大学生、読書時間ゼロが過半数 「読む」層は時間延びる
1日の読書時間が「ゼロ」の大学生が2017年、初めて5割を超えたことが26日、全国大学生協連合会の調査で分かった。一方、「読書をする」という大学生の平均読書時間は1日あたり51・1分で前年より2・5分延びており、「二極化」が進んでいるようだ。(略)同連合会は「大学生になって本を読むかどうかは、高校生までの読書習慣で決まっているのではないか」と分析している。(杉原里美)
(朝日新聞デジタル 2018年02月26日 23時51分)
・・・・

この実態調査の末に「参考」として
浜島幸司さんの「大学生の読書時間減少の要因を探る 学生生活実態調査(2013-2017)データから(抜粋)」という資料がついている(何の抜粋かがよくわからない。こちらを全文読みたい)。

その参考の内容では、
・スマホ利用時間が増えたから、読書時間が減ったという単純な構図は無いようだ。
・一日の読書0分の層が拡大して、全体の読書時間の平均を引き下げている。
・浜島教授は読書0分の層を、「読書習慣の無い」学生と位置付けている。
その結果「スマホ利用が読書を減少させたという説は支持されない。むしろ、最近の大学生の高校までの読書習慣が全体的に下がっていることの影響が大きい。」と結論づけているようです。


ふむふむ。

ところで、この調査全体の構成は次のとおり。
1章が「学生の生活状況」
2章が「就職について」
3章が「日常生活について」

それぞれの章の調査結果の概要は下記のとおり。
1章「学生の生活状況」
アルバイト収入増で暮らし向きは楽観傾向。貯金の目的も多岐に
貸与型奨学金の受給率は減少だが、受給金額は増加


2章「就職について」
「内定している」は最高値であっても、「就職ができるか」の不安は引き続き存在
働き方に対するイメージの確立は女子が先行


3章「日常生活について」

勉強時間、読書時間が減少
政治への関心は高く、8割がネットや新聞でニュースを収集




その調査結果と概要とを見比べながら、私自身が拾ったポイント。

◎アルバイトをする学生が増えていて、アルバイトしている学生としていない学生では、している学生の方が勉強時間も読書時間も短い。

◎奨学金をもらっている学生の総数は減っている。
◎奨学金をもらいながらアルバイトをしている学生は、奨学金をもらわずにアルバイトをしている学生よりも、勉強時間が長い。

◎働きやすい職場について、女子は有給や勤務時間が柔軟であることへの関心が男子よりも高い。


シンプルにこれらを読みながら、先の浜島先生の「参考」と重ねて考えると、
・アルバイトに時間をとられて勉強時間、読書時間が減少傾向にある。
・奨学金を借りて進学している学生は、アルバイトもしながら、無い時間を勉強に振り当てようとしている。奨学金の需給条件に成績があることも一つだし、奨学金まで借りて進学してきたのだからという理由もあるだろうか。
・スマホによる読書の阻害は無いがが、労働時間による読書の阻害はある?
・スマホによりニュース等を収集する習慣はついてきている。
・就職先に求める条件から、女子学生は「時間」を大事と思う傾向が強まっている。


大学生に限らず、小学生、中学生、高校生、成人の読書調査もあることだから、
それぞれ比較してみたら、習慣の問題なのかどうかわかるかも。

私は、いちばんは時間だと思っている。
なんの役にも立たないことに費やせる「時間」が減ってしまってるから、本に手が伸びないんじゃないかなー。
情報が欲しいのであれば、ネットが早い。

後先のことを案じずに、ゆっくり考えたり、どっぷりのめりこんだりするのに向いてる「本」は、
ついうっかり手を出すと、たっぷり時間を食ってしまうから、
(読みなれていない人ならなおのこと。没頭できる人であればなおのこと)
そういう「遊びの時間」が不足していることが、読書時間や読書量を減らしてる気がしている。

by shiho_kato | 2018-02-28 16:50 | 読書ノート | Comments(0)

三浦しをん「夢中」ということ@日経新聞2018/1/21

日経新聞2018年1月21日の朝刊に掲載された、
三浦しをんの「夢中論」はいい。

全文を紹介したいくらいだけれど、著作権的に、いくら引用元を示していてもNGだと思われるのでしぶしぶ抜粋。

「読書って、知らなかった世界を知ることができるし、楽しいものだなあ。人々のそういう思いが、本および読書の地位を徐々に高めたのではなかろうか。しかし現在、知らない世界への扉を開いてくれたり、楽しい時間をもたらしてくれたりするものは、本だけに限らない。むしろスマホのほうが有効な局面も多々ある。多くのひとが、本よりもスマホに夢中になるのは、当然のことだ。」(日経新聞2018年1月21日朝刊32ページ)

◎スマホについての私見
スマホのおかげで、「調べる」ことのハードルは低くなった。紙の広辞苑よりも、ポケットサイズの電子辞書よりも、スマホの方が有能だ。(ただし、要らぬ情報に振り回されず、情報の真偽を見る目は整えておく必要がある)
固定されたテレビや、紙の新聞を媒介にして伝わっていたニュース等、社会の動きみたいなものも、スマホ普及後の方がはるかに触れやすくなっている。
スマホというマシン越しに、活字によって情報が私たちにリーチする度合いも、かつてよりも上がっているので無いかな、と思う。

◎読書についての私見
もし働かなくても食べていけるのであれば、いま仕事をしいている時間の半分は読み書きの時間にあてたいくらい読書のヒトだ。だけれど、読書がだれにとっても至上最高のものだとは思っていないし、誰にとっても必要なものだとは思っていない。
学習や教育(の周辺を含む)に携わる人たちには、「読み」も「書き」もしっかりして欲しい。何かを学ぶとか、何かを育むとか、何かを教えるとかいうときに、それまでの蓄積を整理して伝えているのは本だと思う。それをそれなりに踏まえて、子どもたち若者たちに向き合って欲しいから。

でも、そういう役目を負わない人たちには、本を好きでいてくれれば嬉しいな。という程度。

本であってもなくても、何か「これがぜったいに好きで必要」というものは持っていて欲しいって思う。
その理由も、この記事の三浦しをんの締めの言葉を借りよう。

「夢中になる対象がなんであってもいいんじゃないかと、個人的には思う。夢中になることを通し、ひとは新しい世界を知ったり、そこで得た「よきこと」を周囲に還元したりしてきたのではないか、という気がするからだ。本でもスマホでもスポーツでもドングリでも、自分にとってしっくりくる「夢中になれるもの」を、自由に選べる世の中であること。それがなにより一番大事なことだ。」(日経新聞2018年1月21日朝刊32ページ)


やっぱり、全文、読んで欲しいなぁ。
「読書の価値」があがったのかどうか、二宮尊徳の薪を読みながら本を読む姿は今の歩きスマホとは違うのか、そういうことも書いてくれている。

三浦しをんが、読書家であり、文筆家であり、調べ屋であり、その上で書いたこの文章のチカラの抜き具合の絶妙さは、引用では示すことができなくて残念だ。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO25894690Z10C18A1BC8000/


by shiho_kato | 2018-02-27 22:39 | 読書ノート | Comments(0)

佐山和夫『金栗四三-消えたオリンピック走者』

「金栗四三」
たまたま何かの番組で、オリンピックのフルマラソンで、50数年をかけてゴールしたというシーンを目にして、興味惹かれた。
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金栗四三は、日本人初のオリンピック参加者である。
1912年に行われた第4回オリンピック・ストックホルム大会のフルマラソンのレースの途中で失踪し、競技場に戻らずに宿舎へ帰り、日本に帰国してしまったため、棄権確認やら何やらがなされないまま、「消えたオリンピック走者」となっていたそうな。


金栗四三を取り巻くメインストーリーはそれなのだけれど、
この本を読むと、それ以上に日本のスポーツ界に貢献した人だということがわかる。

全国各地を飛び回って、子どもたちも女性たちも、生涯、スポーツと共に健康でいようということを唱え、教え、実践して回っている。

ランナーを増やすために駅伝を開発?し、「箱根駅伝」の開催をはじめたのも、「福岡国際マラソン」をはじめたのも彼であり、1964年の東京オリンピックの開催にも大きく関わっている。
ちょっと偉大なヒトっぽいけれど、彼が教員をすることになったお茶女(当時の東京女高師)で、女子テニス部を創設したりとかいうエピソードを聞くと、なんだかぐっと身近に感じられる。
走るだけではなく、スポーツはなんでもありだったそうだ。


いま、むむちゃんの送り迎えで毎週出かけるかるた会館のある大塚近辺が、それらの取り組みの舞台になっている。
大河ドラマでは、今から100年前のそのあたりを見ることができるのかと思うと、ちょっと楽しみだ。

ちなみに、学校教育でもマラソンに取り組むようお願いした手紙を、全国各地の学校に送り、足を運んで、健康と体力作りに良いことを説いてまわったそうだ。
現在の体育の中で行われる「持久走」がその成果だとしたら、子どもたちには恨まれるべき所業だろうなぁ。

でも、お国を守るとか、国体強化のための、運動ではなく、体力とか健康とかを目的とした「体育」の価値の転換をしてくれたことには感謝してもいいかもしれない。

それを実践しつづけて、92歳で亡くなる直前まで、学生や子どもたちとランニングを楽しんだそうだ。

来年、宮藤官九郎の脚本でNHKの日曜日の大河ドラマとなる。今からとっても楽しみだ。




by shiho_kato | 2018-02-15 18:53 | 読書ノート | Comments(0)