むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:読書ノート( 648 )

図書館の自由と学校図書館と「読書指導」

簡単に、私の意見を書いておこう。

・「読書指導」において、学校図書館の貸出履歴は、生徒・教員で共有されることがあることを、貸出を始める前から生徒にあらかじめ知らせてあれば共有はOKである。あるいは、履歴を生徒に戻し見られたくないものは消してもらった上でならOKである。

・しかし、貸出履歴以外については、触れるべきではない。たとえば「自殺や殺人についての本に関心を示している生徒がいる」などということを、学校司書が教員に知らせるべきではない。
・学校図書館で借りている本が、生徒の読書のすべてだととらえたら大間違いである。それとともに、学校図書館外での読書については(たとえば購入したり、たとえば公立図書館の本を借りて読んでいるもの)、生徒の自己申告で把握すべきである。


私は小学生のときに、個人課題(私だけに課せられた課題)で、読書ノートを教員に提出させられていた。
そこに記すのは、読んだものすべてではない。また、その日読んだものではなくてページを埋めるために過去に読んだものも記したりした。
その教員が、なんの意図でもって私ひとりにその課題を課していたのかわからないのだが、少なくとも、彼の勧めた本を読もうとは思わなかった。なぜなら、読書の「量」で言えば、彼よりも私の方がはるかに多いであろうことがわかっていたから。実際、彼の勧めてくれた本は、当時の私にはとても退屈で、消化読書的なものだった。

私が高校生のときに、現代文の教員に受験に向けて個人指導をしていただいていた時期がある。
彼の勧める文章は、がんばって読んだ。テキストの一部分だけではなく、その本一冊を読もうと努力した。受験期のその読書は、時間の使い方としては負荷になっていたかもしれない。
それでも、理解できるようになりたい、わかるようになりたいと思って読んだ。彼が圧倒的に私よりもずっと多くの本を読んでおり、読んだ本も読んでいない本についても、深く理解していたからだ。


私は、思う。
「読書指導」をしたいのであれば、生徒ひとりひとりの読書の傾向を把握することよりも先に、多くの本を読んでいることが必要だ。
多くの本を読み、多くの本にふれた上で、自分の読書の姿勢と傾向とを生徒に示すことだ。
そこまでした上で「君たちの読書傾向を知り、読書指導を行いたい」と宣言することだ。



ちなみに、学校図書館にある本など、世にある本のほんの一部でしかない。

学校図書館法が定める学校図書館の資料は「学校教育に必要な資料」である。
「学校教育に必要な資料」でしかない、と言ってもいい。


学校司書として、この学校で好まれ使われる必要であろう本を頭と心と情報を駆使して選書し、生徒に沿った蔵書構築をしたいと努力しているけれど、どんなにがんばっても「選書」のフィルターを通したものしか置けないのだ。

私自身、毎日図書館に身を置きながら、この図書館の本と、ほぼ同じかそれを上回るくらいの本を公立図書館で借りて読んでいる。
この学校図書館には合わない、そぐわないが、私が読みたい本はあるのだ。
選書権を持つ私とてそうなのだから、生徒はいっそうそうだろう。



学校の中にある図書館で、互いに顔と名前を把握されている図書館で、自身の読む本が、すべて「読書の自由」を守られ、プライバシーを守られていると、無邪気に信じられるような子どもでは、私は無かった。


そして私の読書活動において「ごく一部」でしかない学校図書館の利用履歴を教員に把握されたからといって、読書の自由を侵害されたと憤るほど、私の読書の世界は狭くなかった。


そういう経験を踏まえて、学校図書館への期待が低い私は、(あるいは、リクエストには限りなく応えたいと思いながら、それだけの期待を託されるだけの信頼は得られ難いと葛藤しながら仕事をしている身として)「学校図書館」か「図書館の自由」かの二項対立はあまり意味が無いと思っている。


学校図書館における読書の記録は、生徒自身があらかじめ教員に知られることを承知していれば生徒がコントロールできるものだ。
そのコントロールを尊重すべきだと思っている。


そういうわけで、冒頭の結論に至る。



*****
学校図書館法
(定義)第二条  この法律において「学校図書館」とは、小学校(盲学校、聾学校及び養護学校の小学部を含む。)、中学校(中等教育学校の前期課程並びに盲学校、聾学校及び養護学校の中学部を含む。)及び高等学校(中等教育学校の後期課程並びに盲学校、聾学校及び養護学校の高等部を含む。)(以下「学校」という。)において、図書、視覚聴覚教育の資料その他学校教育に必要な資料(以下「図書館資料」という。)を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによつて、学校の教育課程の展開に寄与するとともに、児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備をいう。


*****
図書館の自由に関する宣言
第3 図書館は利用者の秘密を守る
 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
 図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない
 利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。




by shiho_kato | 2018-07-03 18:45 | 読書ノート | Comments(0)

「似ている」シリーズ&「目で見る」シリーズも、とても面白い

「くらべる」シリーズは面白かった。
さらに面白かった「似ている」シリーズ。
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『似ていることば』
たとえば、ふくろうとみみずく、あふれるとこぼれる、足と脚、使用と利用、舟と船などなど。

『似ている英語』
たとえば時計ClockとWatch、小さいlittleとsmall、笑うlaughとsmile、木treeとwoodなどなど。

写真で見比べて楽しい。
写真なので、インプットされやすい。
写真なので、英単語がわからなくっても一緒に楽しめる。
写真なので、似たような絵を身の回りに探してしまう。読み終えた後の余韻がハンパ無いのです。



そして「目で見ることば」シリーズ①~③
耳で聞き、言葉として読んではいるけれど、頭に浮かべることができない言葉、ことわざがある。
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「互角」が、本当に「ツノ」のことだったとは
「ひいき(贔屓)」が、カメに似た生き物ことだったとは
「引っ張りだこ」が、天日干ししているタコのことだったとは
「へそくり」「へそ曲がり」のへそは、おへそのことでは無かったとは
「じぐざぐ」は、擬音語でも擬態語でもなく、英語だったとは
「シカトする」の「シカ」が、「鹿」のことだったとは
「ぐれる」がハマグリのことだったとは
「長いものには巻かれろ」の「長い」のは、ゾウの鼻だったとは
「ひょんなこと」のひょんは、イスノキという樹になる実の鳴り音だったとは


発見の驚きは、写真で紹介されることでびっくりが5割増しになる。

一緒に立ち止まって、一緒に考えることができる。
なんだかいいシリーズだなぁ。


かつての『ピースブック』と『とっときのとっかえっこ』と出会ったときの衝撃に似ている。
人にすすめたくなる。

by shiho_kato | 2018-07-01 18:35 | 読書ノート | Comments(0)

「くらべる」シリーズが面白い

写真集に分類してもいいと思う。
くらべるシリーズ。
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『くらべる時代』では、昭和と平成をくらべる。
プリンやオムライスや公園や横断歩道や花束や果物かごやポストや。
むむちゃんぷうちゃんと、昭和の方が好きとか、平成じゃないよねとか、違いがわからないとか言い合いながら読む。

『くらべる値段』では、お寿司や金魚やサッカーボールやかまぼこや畳や中トロを比べる。
かまぼこ、片や300円、片や3,600円!!!

『くらべる世界』では、世界のじゃんけんやフルーツパフェやぎょうざや折り紙を比べる。

『くらべる東西』では、東京の銭湯と大阪の銭湯を比べ、関東のおいなりさん関西のおいなりさんを比べ、関東の卵サンド関西の卵サンドを比べる。


どうして違うんだろう、何が違うんだろう、どこが違うんだろう。
ワクワクくすぐられる。


ひとりで読むよりも誰かと一緒に読む方が遥かに面白い本がある。
あれこれ言い合うのが面白い。
どうして、何が、どこがに、あれこれ推論を立て合うのが面白い。


ぷうちゃんやむむちゃんには、もっぱらマンガや小説の「物語」をお勧めしてきた。
物語じゃなくっても、一緒に楽しめる本があると知ったら、急に世界がぐいぐい広がる。

by shiho_kato | 2018-06-29 18:08 | 読書ノート | Comments(0)

交通遅延と小林昌平『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』

6月の後半になって交通機関の遅延が増えている。

祝日の無いひと月に、私は疲れ気味だが、
疲れているのは私だけではないのだろう。

先日はとうとう山手線外回り(時計回り)が完全にストップしてしまい、
振替輸送を利用して、勤務先に向かった。

地下鉄網を駆使して、どのルートをたどるか検討しながら、
乗換のいちばん少ないコースを選んだ。

そうしたところ、改札出口も、乗換先の改札入り口も、おびただしい人人人。
入場規制と、乗車規制がかかっており、ぎゅうぎゅうの混雑。

乗換三回のコースを選んだ方が賢明だったか・・・。

ぐったりした気持ちを周囲から閉じて立て直すために本を取り出す。
最近は、小説と小説以外の二冊持ち。とても物語に入り込める気がしなくて、
小説以外の本を開くことにする。(ぎゅうぎゅうの中で開くわけだが)

今日入れていたのは『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』
仕事/自意識・劣等感/人間関係/恋愛・結婚/死・病気の章に分かれ、

それぞれにたとえば
緊張してしまう/自分を他人と比べて落ち込んでしまう/ダイエットが続かない/人の目が気になる/毎日が楽しくない/人生がつらい・・・
などのお悩みがあげられ、お悩みひとつに一人の哲学者の「答え」を示す。

いちばん最初のお悩みは
Q:「将来、食べて行けるか不安」
A:アリストテレス「快楽は本来、「活動」にほかならず、それ自身目的なのである」『二コマコス倫理学』
著者意訳:「将来の目的は計画をいったん忘れ、今この瞬間のやりたいこと、やるべきことに熱中せよ」「「今、自分にとって楽しく充実しているという状態」がそのまま「すでになしとげた成果」になる」「自分が向いていると心から感じられる作業に全力で打ち込み、充実した手ごたえを感じながら毎日を生きている人を、世界が放っておくことはないでしょう」

つまるところ「やるだけやったら、次がある」のだそうです。
何これ面白い!!


Q:「やりたいことはあるが、行動に移す勇気がない」
A:デカルト「困難は分割せよ」『方法序説』
著者意訳:「本気で取り組める小さなゴールに刻んでいったら、夢は夢でなくなります」

おぉ、これも私がしばし実感する「夢は叶う」そのものだ。デカルトとは気が合うな。


Q:「人の目が気になる」
A:ミシェル・フーコー「懸命になって『ゲイ』にならなければならない」『同性愛と生存の美学』
著者意訳:「世間体や他人の視線を気にしてしまう自分を統御しながら、勇気をもって自分のありようを自由に発揮させて生きていく努力」
参考:森博嗣「非合理な常識よりも、非常識な合理を採る。それが自由への道である」『自由をつくる 自由を生きる』

アリストテレスやデカルト的に生きてると、おのずとフーコーの言う「自分を自由に発揮させる」ことにたどり着く。もはや人の目など気にしている暇は無い。


Q:「嫌いな上司が居る、上司とうまくいっていない」
A:スピノザ「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する」『エチカ』

嫌いを苦手と置き換え、上司をヒトと置き換え「苦手なヒトが居る、そのヒトとうまくいっていない」とすれば、使える場面がぐんと広がる。


Q:「重い病気にかかっている」
A:ウィトゲンシュタイン「世界の事実を変えることはできないが、世界を幸福に生きようと意志することはできる」『論理哲学論考』

これは、このまますーっと入ってくる。



質問とは呼応しないけれど、この二つはぐっと来た。

アドラーの「自分の課題と他者の課題を分離せよ」『人生の意味の心理学』
ヘーゲルの「敵対した「私」と「あなた」がわかりあい、「われわれ」として一段上に上がることが大切である」『精神現象学』




いちばん大好きと思ったのは、こちら。
Q:「夜、孤独を感じる」
A:ショーペンハウアー「早くから孤独になじみ、孤独を愛するところまできた人は、金鉱を手に入れたようなもの」『幸福について』

孤独は金鉱ですって。なんでもかんでも絆とかつながりとかネットワークなんて。友だちは100人もいらないし、お昼ご飯はひとりで食べていいし、移動はひとりでしたいし、勉強会だってひとりで参加したいし、ひとりが好きで何が悪い。


面白くて夢中になるうちに、改札を通り、地下鉄に乗り、目的の駅に到着。

通勤は苦痛だ。されど
「読めよ、さらば救われん」


哲学者たちが身近になったひとときでした。



※本著は面白い。でもどこが哲学者本人の言葉の引用で、どこが著者の解釈による意訳なのか、その言葉の典拠はなんなのか、書かれ方があいまいなのが残念。

by shiho_kato | 2018-06-26 18:54 | 読書ノート | Comments(0)

是枝裕和『万引き家族』

映画『万引き家族』のノベライズ。
監督の是枝裕和が書き起こしたもの。


映画を観た方が良かったのだろうか。
小説だったからだろうか。

理性的に動けないもどかしさ、
伝えさえすれば届く思いを口に出さないことのもどかしさ、
そのもどかしさが、すぐさま悲しみに変わった。



もっとうまく立ち回ることができたなら。
もっとうまく立ち回ることを教えてくれる人がいたなら。

「うまく」って何?
「うまく」ってどういうこと?

胸に浮かんだ思いを伝えることで、その後の時間をずっとずーっと救われる子どもがいること。
思うだけでは届かない。伝えなければ届かない。

ただでさえ、ずっしりとした荷を背負ってたどり着いたその「家族」
ようやく下ろすことができたのに。

彼ら、彼女らに、不要な重荷を背負わせないでほしいと、ただただ願いながら読み進めたけれど、
願いむなしく。


こういう二度、裏切るパターンは、苦手だ。


私は苦手だけれど、この映画だからこそ、伝えられることがあり伝わる層が広がることを歓迎したいと思う。

by shiho_kato | 2018-06-19 18:15 | 読書ノート | Comments(0)

湊かなえ『未来』

湊かなえが10年かけて書き上げた渾身作『未来』

宮部みゆきの『この世の春』と同じモチーフを用いながら、宮部みゆきほどのエンタメ性は無い。


読んでいて苦しくなるけれど、結末が知れなければ苦しさからは逃れられない。
息を止めて駆け抜けるように読み進めた。

いじめ、性虐待、DV、AV、ひとり親、、、詰込みすぎるほど詰め込んで。
この小説に、原田くんが描かれていることに救われる。


展開が苦しすぎて、共感しにくいのだけれど、
“声をあげれば誰かに届く、大人に届く”
を、最後の希望と置いたその思いよ、どうかたくさんの読者に届けと願う。


辻村深月もだけれど、湊かなえも、攻めてる。


ストレートな子どもの貧困に対する活動も、子どもの虐待に対する活動も大切だ。
それと同じくらい、文化が腕を広げ、非暴力、非虐待、非貧困、非差別etc.の空気がふうわりと社会を包むベールとなることは大切だ。


がんばれ。がんばれ。がんばれ。


by shiho_kato | 2018-06-18 18:00 | 読書ノート | Comments(0)

教育の本3冊 『日本の公教育』『データで読む教育の論点』『日本の15歳はなぜ学力が高いのか』

教育論のお話じゃなくって、教育の制度とお金のお話。


子どもを対象とした教育って、どんな教育が子どもにとって有益か、
が、先にあるんだと思う。

わたしは、今の教育カリキュラムに大手を振って賛成できないし、
私の狭い世界で、実際に直接目にすることができる、個々別々の教室、教員の中に、
こんな教え方して欲しくないなーー、こんな接し方して欲しくないなーーと思う場面に、
ときどき出くわしたりもする。

だから、どんな教育であれ「とにかく「教育」と名の付く制度を整えればいい」、
と、思っているわけではない。


だけど、日本の子どもの貧困のことを勉強すると、それでも今の日本において、
お金のことが障壁になって学べなくなることが、とてつもない損害であることも知る。
別に、学歴が低くて賃金の低い職にしか就けない、とか、そういうことじゃなくって。

知りたい意欲を、飽き飽きするほど満たされる経験が無いまま、
社会に出なくっちゃいけなくなるっていう意味で。

興味も無かったことを、知ったり学んだり出会ったりするのって意外と面白いなという経験。
なんだろーと思って、ちっとも何の役にも立たないのにドンドン調べたくなっちゃうときのワクワク感。

そういう体験を、子どものときにできたなら、大人になって「なんだこれ困った」
自分の世界で解決できる手札を持たないぞ、って時に、
自分は知らないけど、どっかには解決できる方法があるかもしれない、と足掻くための、
底力になると思っている。


だから、教育は、大事。
子どものうちに「安心して、学べる場を保障される」って大事。



日本は、他の先進国に比べて教育費を盛大にケチってる。

豊満な私腹を肥やしたおっさんたちベースの国だ。
そこを仕切ってる財務省の、ものを考えない、目の前に立つおっさんに、目をつけられないようにだけ振舞えばよろしかった体質が、日のもとにさらされたばっかりだ。

NPOで働いていたときから、子ども施策において、厚労省が最も理解が早く、愚鈍な文科省がようやく理解しても、鉄の財務省は、その意義なんちゃらなど聞く耳持たない省として悪名高かった。

彼らが聞く耳を傾けるのは、小さき者ではなく、
目の前の態度のでかい、私権に関して強欲な人たちばかりだったってこと。


腹ばかり、立つ。
腹ばかり、立つけれど、地団太踏んだって、こぶしを振り上げたって、仕方ないので、
教育に歳出を割くことの有用性について、いつなんどきでも自分の言葉で語れるようにしておくことくらいしかできない。


・・・・・

そんなことを思いながらのチョイス3冊。
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・舞田敏彦『データで読む教育の論点』晶文社(犀の教室)
日本の教育の現状をとらえようとするときに、どこにどんなデータ、どんな調査結果があるのかを紹介している。必要に応じて便利に「使う」本。


・ルーシー・クレハン『日本の15歳はなぜ学力が高いのか』早川書房
タイトルは意訳。
原語では”Cleverlands:The Secrets Behind the Success of the World’s Education Superpowers”
副題の「5つの教育大国に学ぶ成功の秘密」が、より正確。

日本、カナダ、フィンランド、中国(上海)、シンガポール、五つの国に実際に足を運び教育現場を見せてもらいながら論じた本。

シンガポールと中国(上海)の教育事情を読んで、つくづくとその両国に生まれなくて良かったと思った。
つくづく、その両国で子どもを育てることにならずに済んで良かったと思った。
子どもに「今」はなく、子どもの時間すべてが「オトナ」になったときのために使われる。

日本は、まだマシだと思ったし、ともすれば、そこまで極端に振れてしまうこともあることを知った。
そして、日本よりフィンランドはまたもっと良い。
そのとき(16歳)が来るまで、一斉試験は行われない。他との比較ではなく、自身の中の成長、成熟に意識を置いて時間をかけることができる。



・中澤渉『日本の公教育』(中公新書)
日本の社会の仕組みのなかで、公教育が果たしている役割、期待されている機能と、
実際のとこはどうなのか、これからはどうなのか、について、
かき集めたデータを検討し、丁寧に分析して書いてくれている。
信頼できるデータ、信頼できないデータをふるいにかけ、場合によってはデータを作り直し数字を整えて、公平に見える形に整理する作業を積み上げてくれた一冊。
その作業に敬意を表したい。こういう数字がこれまでを顧みるとき、これからを考えるときに、力を持つのだ。ありがとう、と言いたくなる。


by shiho_kato | 2018-06-06 19:22 | 読書ノート | Comments(0)

【未稿】AIと仕事の本5冊  『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』『10年後の仕事図鑑』『読書の価値』『人工知能は人間を超えるか』『人工知能と経済の未来』

AIにとって代わられるってどういうことなのだろう。
AIにとって代わられないってどういうことなのだろう。

と、思いながら読む5冊。

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ダントツ面白かったのは、森博嗣の『読書の価値』だった。

******


新井紀子『AIvs.教科書』
新井さんの指摘を読むに、「教科書が読めない」のではなく「問題文が読めない」ことについて危機感を覚えているというお話だった。


落合陽一・堀江貴文『10年後の仕事図鑑』
AIの発展でどんどん単純な仕事は人の手による必要がなくなっていくわけだけれど、創造性、発想力などを元手にする仕事は無くならないらしい。
そうそると、問題文が読めるか読めないか、問題が解けるか解けないかは、問題ではなくなるのではないかと思われてくる。基礎的な知識は必要だと思うのだけれど。


森博嗣『読書の価値』
森博嗣は、「読書」への自身の経験を語りつつ、「書くこと」の価値を述べている。
読むインプットと、書くアウトプットの重要性を書いていて、腑に落ちる。
知識は検索して済む、という形で外に置いておいても使えない。
アタマの中に自身の中に溜まった知識があり、それとどれを繋いで組み合わせて化学変化が生じて新たなものが生まれるのである、と述べている。

そう、それだ。最近の私は過去に溜めに溜めて溜めまくった知識を再利用し続けているのだけれど、ゆっくりでいいから今まで溜めていたものと異なる知識も少しずつ注入していくことをした方がいい。
外側に、どこに手を伸ばせば当たるかの選択肢を用意して増やしていくことで良しとしておいては足りないんだ。もちろん必要な作業ではあるとは思うけれど、インデックスを貼った箱を増やしても、その箱に中が空っぽだったら、使えないんだ。たぶん、私のここ数年の作業はインデックスばっかりを増やしているに過ぎないんじゃないのかな。



松井豊『人工知能は人間を超えるか』
新井紀子さんの本で引いてたから、原本にあたった。


井上智洋『人工知能と経済の未来』
この続きの『AI時代の新ベーシックインカム論』の方が、今読むならよさそうだ。




全部読んでみて、なんだ、AIががんばる世界って、ちっとも怖くないや、と思えるようになった。
そもそも恐れてなんかなかったけれど、もっと恐れなくなったというか。

無駄な働きが無くなって、「遊び」の部分が拡大していけばいいって思ってる。
時間を浪費するための遊びじゃなくって、人として生まれたことを十分に楽しむための「遊び」は「文化」と言い換えてもいい。

人間は「文化」を生み出した唯一の動物であり生命体だ。
せっかく「ヒト」に生まれたのだから、それをもっと味わい尽くして「人間らしく」生きるのが、
人類の役割なんじゃないかって思う。

いま、そこに近づいているんだ思うと、未来が今よりもほんの少しだけ明るく見える。

by shiho_kato | 2018-06-04 12:45 | 読書ノート | Comments(0)

数学の本2冊 『あなたのまわりのデータの不思議』『体感する数学』

なんだか、この一年というのか半年というのか、
自分の中のストックが空に近づいている気がして、焦っている。

積ん読が苦手で、積まずに読め!なのだけれど
このところの積まれているものたちは小説以外であって、
そうすると、目の端でスルスルとは読めず、集中が必要になる。

読むことに特化したまとまった時間が欲しいと足掻いてきたけれど、
ようやくあきらめがついた。

読むための時間なんか無いんだ。
雨粒をため込むように、読めただけ粛々と貯めていくことにシフトしなくっちゃ、
この問題は解決しない。



というわけで、数学の本二冊。

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『あなたのまわりのデータの不思議』は、日常の中にある、
たとえば出口調査とか、視聴率とか、貧困率とか、平均とか、降水確率とか、あまたあるデータは
どういった統計を使っていて、信頼性の高い形はどうで、低いのはどう、というのを易しく書いてくれている。

数字は、わかりやすい。
でも、操作性がある。
うっかり鵜呑みにしない程度に、「これって大丈夫?」って警戒センサーが働く程度に、
統計のことは知っておくと、世の中クリアに見えてくるなーと思った。


『体感する数学』は
遠くにあった「無理数」とか「リーマン予想」とか「群論」とか、
言葉だけだとわけわかめの単語が、ふむふむそういうことを表す数字なのか、と理解できた。
『博士の愛した数式』を読んで「素数」には親しみを覚えたけれど、
その「素数」もあらためて、どういうもので、どう活かされているのか理解した。

理解できたり、理解した、と思えたりしたのは快挙!
きっといい本なのだと思う。

そして、この手の本はたくさんある。
何冊か読めば、数学の有用性も、だから面白いんだ、ってことも、
今よりわかるようになる予感しかない。


by shiho_kato | 2018-06-01 14:16 | 読書ノート | Comments(0)

オンナの歴史本2冊『The TROUBLE with WOMEN-問題だらけの女性たち』『世界を変えた50人の女性科学者たち』

『問題だらけの女性たち』は
ダーウィンやら誰やら、歴史上のエライと言われる男性たちが放った「女性評」を集めたもの。

驚きが怒りに変わり、呆れに変わり、諦めに変わり、かつてから「エライ男たち」というのは「バカだった」と断言せずにはおれなくなる。
ここまできっぱりバカなんだから、オブラートなど必要無しだ。

結局のところそれと地続きで、今もってバカな男たちが、この社会の中心部分で大半を占めているから、あの問題もこの問題もその問題も、目の前に起こる問題が無くならないことがわかる。
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岸本佐知子や、斉藤美奈子が書評を書いている。
書評を書きたくなる本だと思う。


合わせて『世界を変えた50人の女性科学者たち』を読むと、
『問題だらけの女性たち』の滑稽さが倍増する。

両方の本に重なって取り上げられる女性が幾人も居る。
つまるところ、彼女たちが出さんとする成果を予見し、あるいは実際に出した功績に、男たちは恐れおののいたわけであるのだなぁ、と思い知る。

両方を一気にまとめて読み、男たちは、女性が女性として在ることに自負と自信を持つことが、何よりも恐ろしかったのだろうと推測する。


背中を汗が伝うような恐れを抱く彼らは、せっせせっせと、強い語気でもって「女であることは劣ることである」と、世間と女性たち自身に刷り込まずにはいられなかったのだろう。

今にいたってもなお、世の特に政財界でエラそうにふんぞり返っている男たちの放言は、彼らが女性たちを見過ごしにし得ないことのあらわれだ。



あらためて、「男に生まれなくって良かった」と思う。
あれらに同類とくくられるなんて、まっぴらごめんだ。

by shiho_kato | 2018-05-18 18:50 | 読書ノート | Comments(0)