むむちゃんの散歩道

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ロードレースを走るワケ

去年は足の故障で走れなかったロードレース。

今年は走らせてもらう。
今年は、走りながら写真を撮ることを全面に押し出して。


図書館の宣伝をかねて。
図書館の行事コレクションを増やすため。
図書館、らしさ、をとっぱらうため。


いろいろあるんだけれど、
いちばんは、かつての私あるいは私たちのためだ。
運動への苦手意識の高いワタシにとっては、ロードレースなんて、持久走なんて、いちばん初めに無くなって欲しい行事のひとつだ。
短距離よりは長距離のほうが、根性と気の長さで、運動能力を補い得たので、若干マシではあったけれど、
走る苦しさよりも、なぜ人前で無様な姿をさらさなくてはならないのか、その屈辱感の方が大きかった。

衆目を逸らす人がいることで、少しでも気が楽になるならば。
ただただ辛い気持ちや、苦しい気持ちから、一瞬気が逸れることで、ほんの少し楽になるならば。
年令・性別・属性の異物が混じることで、同質性(競争や評価やあれこれ)の純度が下がって、ほんの少し風通しよく、呼吸しやすくなることがあれば。

他にもそんな場面は多々あるけれど、私がそれをできる機会はほんの少し。
この学校では、ロードレースと百人一首だけ。


今日が、ただ苦しいだけの一日で、終わりませんように。
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by shiho_kato | 2018-01-31 14:36 | 私ノート | Comments(0)

館山若潮マラソン

二度目の館山若潮マラソン。

寒さが厳しい予報は、走る前のお日様ポカポカ陽気に救われた。

走り出してからは曇り空に変わり、時折小雨やみぞれのようなものに降られるところもあったけれど、
走っている間は、それほど寒さは感じなかった。

館山は、応援も温かく、コースに変化もあって、ほどほどの地点にエイドがあるので、
のどの渇きやガス欠を恐れる心配もない。
まだ二回目ではあるけれど、安心感で、気負いなく、楽しむ気持ちで走ることができた。

30㎞地点の坂をのぼるまでは、慎重に。
坂を下りてからは、気持ちで走る。

Pちゃんがんばれ、つっきーがんばれ。


前半ほど元気に足は動かなくってなっていくけれど、それでも最後までゴールに向かう。
私が、私の足で、一歩一歩進むことでしか、ゴールはできないんだ。

応援は何よりもチカラになる。
「行けるよ~」「いい笑顔!」「ナイスラン!」「いいペース!」どんな言葉も、チカラになる。
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だから、最後まで信じて、ゴールまで信じて、ただただ信じて、応援し続けて欲しいんだ。

「ラストだよ~!」の声、「あと少しだよ~!」の声、「おかえりなさーい!!」の声、
掛けていただく声という声に、「ありがとう~!!」手を振って答える。
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Pちゃんも、つっきーも、そうやって、自分の足できっと走り続けている。
最後の最後のゴールまで自分を運べるのは、自分の足だけなんだ。

だから、勝手にまわりがあきらめちゃいけない。

大丈夫なのか?本当に走り切れるのか?遅すぎやしないか?そんな心配をされるよりも、
ゴールにたどり着けるまで、信じて信じて信じ抜いて、ひたすら応援される方が、
きっときっと力が湧いてくるにちがいない。



水を差しだし、みかんを差し出し、クリームパンを差し出し、スポーツドリンクを差し出し、温かい麦茶を差し出し、炊き込みご飯のおにぎりを差し出し、チョコレートを差し出し、飴を差し出し、
ただただ、がんばって、がんばって、がんばって、そうやって信じ続けてもらった気持ちが強ければ強いほど、
それにこたえるように、私は最後の最後まで、走りきることができる。





一月の最終週の一週前はいつも体調を崩している。
おそらく、年末の安心と脱力に比して、お正月休みが十全なお休みにならず、
新年の「改まり」の昂揚した雰囲気に押された疲れが出るのが、その時期なんだと思われる。

直前には大丈夫だろうかと案じていた身体は、
沿道からのたくさんの応援シャワーのおかげか、走り終えたら、すっきりと元気になっていた。

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by shiho_kato | 2018-01-28 17:53 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

京都の小説 「下鴨アンティークシリーズ」「わが家は祇園の拝み屋さん」「鴨川食堂」

京都を舞台にした小説が面白い。

小説の中身は、わぁっと驚く程面白いわけではないが、ちょっと京都に居る気分を味わえるのが良い。

京都舞台の女子高生くらいが主人公の軽めの小説を探してみると、たくさん出ているのね。
京都本大賞」なる賞があって、それなんかを参考にしながら、何冊か続けて読んでいる。

柏井壽『鴨川食堂』シリーズ(小学館文庫)
望月麻衣『わが家は祇園の拝み屋さん」『京都寺町三条のホームズ』シリーズ(双葉文庫)
白川紺子『下鴨アンティーク』シリーズ(集英社オレンジ文庫)
とかとか。
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白川紺子の「下鴨アンティーク」は、古典や、世界の名作、能や、クラシックなどなどを
からめてお話を展開するから、知らず知らずと源氏物語の世界に引き込まれたり、
小野小町に思いを馳せたりできてしまいながら、京都の中のゆかりの場所を思い浮かべて読むことができる。
巻末には参考文献リストなんかもついていて、ライトな小説なのに手厚くって良い。

私が中学生のときは、読書歴的にはコバルト文庫で繋いでいた時代。
そのころに、このくらいの感じの本に出会えていたらなぁ。
いま、ライトノベル系で探すと、京都舞台の似たような本がわんさか出てくる。
きっとそれらの多くは、寺社とか陰陽師とか古典とか、日本の文化や文学と結び付けて仕立ててているものがたくさんあるに違いない。(そうでないと京都を描けないものね)


コバルト文庫の『丘の家のミッキー』だって悪くはなかったけど、
今だったら、これ系のをたっぷり読んでいただろうなー。

そう思うと、紙の本の危機とか言われながら、かつてに比べて豊作の時代なんじゃないかなって思う。






by shiho_kato | 2018-01-24 07:41 | 読書ノート | Comments(1)

雪にランラン

雪予報、どうか当たりますように。
願った月曜は、予定より早く、雪、降り出しました。

うれしい。

会議はなくならないだろうし、雪の影響でフツーに帰ったって
帰り着くのは遅くなるだろうし。

そう読んで、前夜、体に鞭打っておでんを煮込み、ポテトサラダを作ってきたから、
子どもたちは安泰のはず。

****

案の定、定時の約1時間後に帰宅開始。
会議中に、渋谷駅の入場規制による大混乱を教えていただいたので、渋谷を経由せず、反対方向の電車に乗り、バスに乗り継ぐことにする。
反対方向への電車はぎゅうぎゅう。それでも足止めなく3駅。

バスは始発。座ることができる。程なく出発。
ゆるゆるで進みは遅いけれど、動かないわけではない。

が、無線連絡。先に通行止めが発生。
そのため途中の停留所からUターンするとか。
戻るのはごめんだ。

このバスの路線は、ときどき勤務先から帰宅ランしている道。
迷うことは無い。どのあたりまでたどり着けているのか確認すると、
朝ランで走るあたりまで、あと少しの場所。自宅まで3㎞も無い。
だったら、あれこれ乗り継ぐより歩いたほうが早い。

歩き始めて、これは走れるかもしれない。
足元は、長靴ではなくトレイルラン用のシューズ。
傘を差しながらテクテク走りだした。
降り積もったばかりの雪の上を走るのは、芝生の上を走るのと同じ不整地ラン。

難なく、自宅にたどり着いた。勤務先を出て1時間45分くらい。
きっと渋谷経由で帰るよりは早かった。
もひとつ別のバス路線を使えばもう少し早かったかもしれないけれど、結果オーライ。

ついでに、荷物をすべて置いてきていたら、乗り継いでバスでトロトロ進んでいたよりも、
全行程走った方がまだ早かったのかもしれない、とも思ったり。

我が家はこうこうと明かりがついていて、家の中はぽかぽかと暖かく、
子どもたちは、お風呂に入り、夕飯を食べ、TVを観たり宿題をしたり絵を描いたり、すっかりくつろいで過ごしていた。

良かった、雪空のもとに放り出されたのが、私だけで。

もしもむむちゃんが高校生で、電車を使って通う場所からの帰宅でこの雪による混乱に巻き込まれていたら。
迎えに行ったとしても、むむちゃんに走ることを要請できないから、異なる手段を選ぶことになろうし、
その間、ぷうちゃんはひとりで家で、心配しながら待ち続けることになろうし。
今後、そういう場面にも遭遇することはあろうから、あれこれ考えておかなくてはなぁ。

雪の混乱の中での最新情報の収集にはツイッターがいちばん役に立った。
と、いうか、ほかは、まったく役に立たなかったと言ってもいい。
読み専だけれど、アカウントを持って居て良かった。
雪ではなくとも、災害時や緊急時の情報収集に優れている。

次に地図。
今、バスはどこまで進んでいるのか、自分はどこにいるのかを把握できた。

帰り着いたら、ぷうちゃんが、「大丈夫だった?」と声をかけてくれて、
先にお風呂に入る?と聞いてくれた。冷えていることを心配してくれたんだね。
走ってきて、汗はかいてなくて、ぽかぽかしていたので、先にちゃちゃっとご飯食べちゃうよ、
と答えたら、ポテトサラダにミニトマトをのせて、おでんを器に盛って用意してくれた。
むむちゃんが帰ってきた時にも、乾いたタオルを用意して待っていたようだ。

ひとりの不安は、帰ってくる者たちへの気遣いにすり替えて、解消したのかな。

****

良く朝、朝ランの時間に起きて、雪かきをする。
雪かきと言っても、公道まで歩ける程度に雪をよけて小道を作る程度の雪かき。
雪かき用のスコップなどあるわけが無い。
ちりとりを用いて。形状的にはおんなじであり、十分に役目を果たしてくれた。

日が差して溶け出す前の方が、雪は扱いやすい。
北海道時代に、夜明け前に父、母、団地の大人たちの雪をかく音で目覚めていたことを思い出す。

たまの大雪に浮かれる気分で、今日の雪かきは、労働ではなく朝ランがわりの運動みたいなものだけれど、
早朝の労働で、毎日のことだとしたら、それは父も母もタイヘンだったことだろう。
雪国に暮らすのはムリそうだ。
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雪かきだけでは物足りず、雪だるまを作った。
むむちゃん、ぷうちゃんを起こして、予定通り歓声を聞かせてもらい、顔を一緒に仕上げた。
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子どもたちは、通常通りの登校。

私は1時間遅れで始業。
1時間遅れって、通常の始業時間よりも通勤ラッシュが厳しい時間帯だから
タイヘンさが割り増しされるって、生徒が言ってたことを、ぎゅうぎゅうの車内で思い出した。

踏切故障に車両点検、雪の影響の有無はわからないけど、ラッシュ時だから混乱度が高いわけだ。
ホームでは乗り切れない人があふれていた。

授業消化のためのこの時間設定、オトナ目線、教員目線での設定・・・。
もう一時間遅くたって、午前中全休だって、いっそ一日休みだって、いいくらいなのに。

むむちゃんがこのぎゅうぎゅうに押し込まれなくっちゃならない状況だったら、
もう学校休むようすすめるだろうな。

生徒に女子が居ないから、こういうときに、あんまり生徒にやさしくない設定で物事進むんだろう。

前日の帰宅時間も、もしかしたら混乱時に放り込まれた生徒が居るかもしれないような時間帯だった。

前任の女子高の最もマッチョな先生は、他者や他校の迷惑顧みずに、自校の生徒の安全を優先する決定に岩壁のように揺るがない先生だった。
たった一年の間でも、インフルエンザにかからないように交流会は中止になったし、台風による交通機関の混乱を避けられるように帰宅時間は早められ早々に校舎から追い出しがかかったし。


とはいえ、子どもたちは、めったにない雪の体験を友だちとわいわいきゃあきゃあ過ごすのを
楽しみにしているので、良いのですが。


今回はたまたま雪の災害で、雪害は、他の災害(台風や地震)よりも割と早めに割と適切に予報が当たり、
事前の備えができる災害だと思うけれど、それですら、メインターミナルの混乱とか、
交通の混乱とか(事故ではない通行止めとか)、どうしてこんなにまで、、、という感じ。

交通各社だけの問題じゃなくって、そこに運ばれる人の動線の問題が大きいんだと思う。
もっと早い帰宅判断だったり、一極集中にならないような促し方だったり、
どこの組織も考えてくれるといいな。

個人としては、いっつも帰宅難民にならぬようにって思って、
機会あるたびに帰宅経路のことを考えながら帰宅ランしながら、選択肢のストックをつくっておいて良かった。
先読みして、夕飯を作っておいて良かった。
冷凍庫にストックもそこそこしまい込んでおいてあるから、それも絶やさないようにしておこう。

日々はマネジメントだ。
災害時(今回の大雪を災害とは呼ばないかもしれないけれど)に落ち着いてられるかは、その成果みたいなものだ。
私が帰り着けなかったときの子どもたちの、電気・ガスが使えなくなった時のための備えがないなーーー。
(ガスコンロは買ってあるけど、使い方を教えていない)
今回はその課題を見つけたから、忘れないうちに、何か考えておこう。

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雪は、私を冷静にしてくれた。
雪は、私には慕わしい。
雪があると、仲間が増えているような、守られているような気分になる。


生まれ育ちっていうのは、根っこ直結なんだなぁ。。。
むむちゃん、ぷうちゃんの、根っこ直結がたくましいものになっていますように。


これからしばらく、雪のある生活。
ちょっと疲れて、ちょっとささくれ立っていた気持ちも、立て直すことができそうだ。
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by shiho_kato | 2018-01-23 18:04 | 私ノート | Comments(0)

伊吹有喜『彼方の友へ』

伊吹有喜は、大正っぽさ(昭和初期を含む戦前)を描くのがうまい。
その時代に生きる、子どもたち、女性たちを描くのがうまい。

先に読んだ『なでしこ物語』一部、二部も良かったけれど、
こちらの『彼方の友へ』は、輪をかけて良い。

アマゾンの紹介文では、

実業之日本社創業120周年記念作品
本作は、竹久夢二や中原淳一が活躍した少女雑誌「少女の友」(実業之日本社刊)の存在に、
著者が心を動かされたことから生まれました。」

ある種、NHKの連ドラ「とと姉ちゃん」の別バージョン小説ではある。

徹底的に「少女」へのまなざしを、「少女」からのまなざしを、貫き通したことで、
ピュアであたたかくて、芯の通った仕上がりになっている。

戦争小説は好きでは無いのだけれど、東京大空襲の描写も含むこの小説を、
つまずくことも、眉をひそめることも、苦しくなることもなく、
ぐいぐいと読まされるように読み進め、読み終えることができた。

直木賞候補作ということで、発見して読んだ小説。
候補にあげてくれてありがとう、と思う。
出会えてよかった小説のひとつ。

本屋大賞のノミネート作にも入ると思っていたのに、入らなかった。残念。
出版にたずさわる人たちに、エールとして、矜持として、読んで欲しい。


by shiho_kato | 2018-01-20 22:56 | 読書ノート | Comments(0)

ジェンダー論を語らない。男と女、どっちに生まれたい?

「男と女、どっちに生まれたい?」
と、むむちゃんが問う。

小中高大生くらいまでのあいだよくのぼった質問だったなぁ。
大人になってからは、久しぶりで新鮮だ。

私は男に生まれたいと思ったことは、無い。
いや、小学生のころに少しばかりそう思ったことがあったかもしれない。

べたべたつるむ女の子同士、、、みたいなのに同調するのが苦手だった、というのが、唯一の理由。

意識がはっきりしてからは、女の性を全面的に受け入れている。

だってね、運動苦手なんだもの。男の子は運動できてなんぼっていうところがあるでしょ。

だってね、家庭を支える大黒柱になんてなりたくない。
家族のために稼ぐ人にも、世帯主にも、家長にも、なりたくない。
もっと言うなら、稼ぐためにせっせと働く人生を送りたくない。
そういうの、私、ちっとも向いてないし、希望もしないから。
仕事バリバリな人生じゃなくって、おうちでの生活を豊かに充実させることを優先にしたいから。

そう、思っていた。

今のわたくしは、堂々たる世帯主であり、子ども二人と自らを、自らの稼ぎによって養っている。
望む望まずにかかわらず、その状況が差し迫って訪れれば、人はどうにでもなれる。
そして、あれこれの経験を経て、他者を主として、それにぶら下がるように生活することが向いてないこともわかった。


そして、そうでは、あるけれど、私は男には生まれたくないのだ。

だってね、生まれながらに、世の中は
「おのこ」を稼ぎ頭として見立てるではないか。
家族をうんとこしょと支える役割を、成人した「おのこ」に見るではないか。
そういう期待をね、背負いたくないのです。

つまるところ、世の男たちは気の毒である。
むむちゃんの問いを前にして、つくづくとそう思った。


女に生まれて良かった。
家族への責任を背負うか背負わないか、そもそも期待されない中で、
私は背負うことを選択したのである。
選択できる自由だけは、あったのである。
(自由とは気持ちの上のことであり、経済的には背負わなければ成り立たなかったのが事実ではあるが)



むむちゃんも、ぷうちゃんも、自分だけをひとまず背負えるオトナになれば良い。
そしてちゃんと自分のことは自分で背負える人(自分を食わせるだけの稼ぎができるだけじゃなくって、自分自身の生活(衣食住)をできる人)と出会い一緒に生きてもいいかと思えば、一緒に生きればいい。

むむちゃんに家長になることを期待することは無くていられるのだけれど、
ぷうちゃんにはうっかりするとうっかりしてしまいそうなので、
すごくすごうく、しっかりと、自らに戒めておかなくっちゃなぁ、と思う。


いずれの日にか、「次は男に生まれてみてもいいかな」とも思ってみたいものだが、
あと50年くらい生きてみても、無理だろうなーーー。


そうそう、男社会に依然としてあるのかどうか、死語であってくれたらいいなって思うけど「飲みにケーション」ってやつも苦手。飲む飲まない関係なく、そも夜の外食外出が好きじゃ無い。
子どもたちが居てお断りせざるを得ない今を、むしろありがたいって思ってる。


by shiho_kato | 2018-01-18 18:26 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

田奈高校図書館のぴっかりカフェと、学校図書館と子どもの貧困

田奈高校の図書館で行われている「ぴっかりカフェ」 の試み、
ここ数年、お訪ねしたいものだと思いながら、機会を逃している。

ぴっかりカフェについて、かいつまんで言うと、
図書館の一角で、週に1度、飲んだり食べたりおしゃべりできるスペースを設け、
学校の先生ではないオトナ(司書と、NPOパノラマのスタッフやボランティアさん)が、
カフェ風の場をひらく試み。

本を媒介にする、という言い方はよくあるけれど、
図書館そのものを媒介にして、外の風を取り入れる試み。


いま、子ども食堂とか、無料学習塾の活動とか、様々な背景や困難を抱える子どもに「リーチする活動」を地域で行う視点はずいぶんと広がりを持ってきたけれど、「そこに行く」場を移すことへの子どもたちのハードルは大きい。
(子どもの支援でも、どんな支援活動でも、必要な人に手を伸ばし手が届くところが一番難しい)

日常の中に溶け込むように、行われることがベストだと思っていたところで、
学校の中にある図書館で、「リーチする活動」を行うなんて理想的だと思ったんだ。


3学期がはじまって間もなく、そのぴっかりカフェについて、にわかに賛否両論の議論が始まっていた。

ぴっかりカフェの可否、是非は、田奈高校の生徒が決めることで、
生徒では無い人たちの意見など、耳を貸さなくて結構と思っている。

それは他の学校図書館にも言える。
その学校図書館の可否、是非は、その学校の現在所属している教員、生徒が決めることで、
それ以外の人たちの意見は、あくまで参考に過ぎない。

その立場から見ると、ぴっかりカフェの試みがこれだけ続いてきていてこれだけ集まってくる生徒が居る。
それそのものが「評価」とみるべきだ。

そして、ぴっかりカフェ云々ではなくって、図書館のヘビーユーザーであり、
誰かとつるんで図書館を利用したいとは決して思わない、一人の時間を邪魔するな、と思いながら図書館を利用してきた私としては、ぴっかりカフェのような活動を、「邪魔」とは思わない。

光が強いと、影も濃くなる。
ぴっかりカフェのような光る場所があれば、こっそり過ごせる影の場所のこっそり度もあがるんだ。

みなの注意を集めてくれる場所があれば、みなの視線が向かない場所もまたしっかりと確かなものになる。

もしも私が田奈高校の高校生だったとしたら、週に一度の「ぴっかりカフェ」の日は、
こっそり隅っこに忍びこみ、誰も私に注目することが無いことに他の日以上に安心しながら、
カフェに集まる人たちの様を耳ダンボで観察しつつ自分の世界に没頭するに違いない。


ひとりを愛する人間にとって、最もジャマくさいのは、
「ひとりで居る」ことを見られる眼差しであり、声を掛けられるかもしれない恐怖である。

今、私は生徒ではなく大人で、図書館の番人のような仕事を数年に渡ってしてきているからわかるんだけれど、
大人という生き物は、「声をかけない」で見守ることができる。
どうか、邪魔くさい視線を感じませんように、どうか、声を掛けられるかもしれない恐怖を感じませんように、
と、息を殺しながら、そうではない生徒とは和やかにおしゃべりをする努力をできるんだ。

田奈高校の司書さんは、私なんかよりもずっと感度のいい立ち回りのよい方に違いない。


そんな私の邂逅や理解やらは、やっぱり横に置いて、
田奈高校のことは、田奈高校に任せよ。



そして、もひとつ、付け加えておきたい。

「ぴっかりカフェ」の試みは、どこの学校図書館でも行えるものではなく、必要性のあるものでも無い。
ある学校においては、図書館以外の場所のほうがふさわしい場合もあり、
ある学校においては、学内に必要ですらない場合もある。
また、カフェ型じゃない試み方で、実施されている学校図書館もあるだろう。

簡単に真似られるものではないんだ。


このところ、子どもの貧困への注目がにわかに集まり(にわかにと言っても、もう10年近く続いているので、いっときのブームに終わるということが無くて良かったと思う)所得格差や教育格差への関心が深まる中、
学校図書館が子どもの貧困に資することがあるのではないか、と、熱く語る方々もいる。

私は、にわか熱に浮かされる人たちが苦手だ。
浮かされた人たちの弁舌の中身以上に、その熱量が危険だ。
大事なことは、冷えた頭で考えるべきだと思うから。
そして、私自身が、うっかり、カーっと熱を上げダーッと突っ走ってしまう体質であることを知っているから。

なので、いま、周囲ににわかに増えている「学校図書館と子どもの貧困」の言説に、警戒心でいっぱいなのである。


うっかり間違えて欲しくないのは、
学力をあげる「ため」に、図書館はあるのではない。
学力が高い子どもを育てる「ため」に、図書館はあるのではない。
子どもたちが「面白い」に出会える場としてあるのである。

それは、どの子どもたちにも等しく、たとえ学力が劣り、家庭的に問題があり、経済的に低所得の家庭の子どもであっても、「面白い」に出会えることが、何にも増して優先される。
家庭に問題があるから、学力が追い付いていないから、この格差を埋めるために「図書館でもその手助けを」と思ってしまったら、間違いだ。

家庭に問題があろうが、学力に問題があろうが、経済的に困難を抱えていようが、
「わ、何、これ、面白い!!」と、思えるものと出会うことを保障することが、
学校図書館の第一義だと考える。

憲法に「文化的最低限度の生活」と書かれている。
この「文化的」が生きるうえでの底力(底辺を支える力)だからだ。


私の短い司書歴でははかれないけれど、きっとそれは、格差の問題が今のように社会問題として取り上げられる以前からの、長きにわたる学校図書館の使命では無かったか?
要するに、かつてからの使命を、きっちりと、どの子にも果たすこと。それだけなんだ。

そのために必要なのは、安心と安全。
そして自由の保障。

ここは安全な場所といえる空間をどう作れるか、
ここに来れば安心よというメッセージをどう届けられるか。

そのうえで、何か支援ができるのだとしたら、
その子の身近に、安心できる場を探すこと、安全を確保する方法を知ること、
その子を不自由にしいてる呪縛から解かれるためのヒントを探すこと。

学力云々につながる「読む力を」なんて言うのは、そのさらにずっとずっと先のお話。



ちんたら書き継いでいたら、ぴっかりカフェを運営しているNPOパノラマから、
1月17日に声明(?)が出されましたので、リンク追加しました。


by shiho_kato | 2018-01-16 18:49 | 私ノート | Comments(0)

ハイテクハーフマラソン

お正月の多摩川、先週の柴又は荒川、そして今日は江戸川にてハイテクハーフマラソン。
川っぺりばかりを走っている。
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12月にガンの切除手術を受けたばかりのかっちゃんが、2時間以内でしっかり21㎞を走り切った。
わずか一か月のうちに、復活。

がん、恐れるなかれ。
という気持ちになる。
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病は気からはウソだ。
ガンは、気から発症しない。
喘息は、気から発症しない。
花粉症だって、気からなど発症しない。
起立性調節障害も、自律神経失調症も、気から発症しない。

気をしっかりもっておかなかったから、病気につけこまれるんだ、と、言うような「病は気から」という言葉が大嫌い。

走っていて、気力が充実していても、病気にはなるんだ。
走っているIさんも、かっちゃんも、気力が充実していたみこちゃんも、Fちゃんも。
何かが足りなくて、がんに侵されたわけではない。


走っていて、気力が充実していて、戦う準備が整っている方が、すぐに臨戦態勢になれるというだけだ。
大事なのは「準備が整っていること」
私がそうなったときに、むむちゃんとぷうちゃんの日常生活の揺らぎが最低限に最小限に済むように、シミュレーションを欠かさない。



by shiho_kato | 2018-01-14 14:02 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

むむちゃん、準名人

中学の百人一首大会。

むむちゃんは昨年に引き続き、クラス代表で名人戦にのぞんだ。


残念ながら、1年生の男の子に負け、準名人。



「名人」二連覇をかけて。
学校の期待、学年の期待、クラスの期待は、あったよう。
それに対して、むむちゃんの中で、油断やおごり、プレッシャーや緊張、やりにくさが、どんな風にあったのか無かったのか、本人にしかわかりません。

私は、応援半ばで、むむちゃんのもとを離れて仲のいいお母さんの愚痴を聞いていたことを悔やんでいます。
だから、人づきあいって苦手だし嫌いなんだよなーーーー。って、黒々と思った。彼女のせいじゃなくって、延々と続くその話を断ち切れない私のせいなのに。
頑なに、むむちゃんを応援すること一択だけで過ごせば良かった。


むむちゃんが、「ダメ、いま話しかけないで、泣いちゃうから」

もう涙が浮かんでる。


久々に午後はかるたの練習に東神奈川に出かけようと思っていたけれど、
こんな日に、むむちゃんの帰りを迎えずにどうする!


むむちゃんは、どう迎えて欲しいだろう。


あれこれあれこれあれこれ考えて、むむちゃんの好きな鯛焼きを買い込んで、お皿にてんこ盛り積み上げた。
こんな日は、慰めるより、やけ食いだ。


PTAの仕事がちょいちょいと入って、かるた会の運営があって、心身の健康のために走ることは削れなくって。

かるたを離れがちなこの一年。自分自身の練習は2か月に1回程度、むむちゃんの大会もしっかり応援したのはもう何か月前だろう、会場に送るばかりになっている。私自身の練習も、もう少し頑張ろう。応援だって、高校生になったらお役目ゴメンになってしまい、見る機会は今よりさらに減るに違いない。あと一年しかないではないか。もう少し、むむちゃんのかるたを見ていよう。

そんなことを思いながら、むむちゃんの帰りを待つ間、久しぶりに札を広げての自主練をした。


帰ってきたむむちゃんに、「こんな日はやけ食いでしょう!」と鯛焼きの山を差し出す。
むむちゃんは、鯛焼きを一気にふたつ手に取って食べた。

食べ終えて、制服のまま、私の自主練途中の札の前に座って、2試合相手をしてくれた。
どの札を送ったらいいか、札分けの仕方、教えながら取ってくれた。


最後まで取り終えて、「うーん」と上に伸びをする。
「百人一首は、やっぱり競技かるたがいいや!」


清々しい言いっぷり。

ホッと胸を撫でおろす。



散らしどりや読みの違い、お手つきでの札のやり取りをするルールの違い、言いたいことはあるけれど、どれも負けた言い訳にならないことは、むむちゃん自身が一番よくわかっている。


先生方は、そっといたわる口調で来年のリベンジね、と声をかけてくれたそうだ。
ちょっと仲の良い友だちには慰めの言葉をかけられたけれど、本当に仲の良い友たちは、まるっきり一切触れずに「おつかれー」と流して、クラスの優勝を盛り上げていたそうだ。


父宅へ向かうむむちゃんに、残った鯛焼きを包んで持たせた。
「あぁあ、ヤダな、なんで負けたのか訊かれるだろうな、それが一番ヤなんだよなぁ。。。」
と、小さくため息。

おつかれさま。うまいこと、聞き流せ。
励まして手を振って送り出した。


むむちゃんにも、そして私にも、ほろ苦さを伴いつつ、かるたにぐっと引き戻される「準」。
私たちにとって、この一年のお守りになる「準」である。

by shiho_kato | 2018-01-13 17:13 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

ぷうちゃんの書初め

むむちゃんが、「名人戦、選ばれたよ」
さりげなく言う。
二学期末に熱を出して選考戦に出られなかった名人戦。
クラスの友だちと先生が、むむちゃんのために選考戦を延期してくれた。

「良かったね!それはがんばらなくっちゃね!」

熱のときには落ち込んでいたので、ホッとする。

良かった良かったと、うきうき夕飯を用意していると、
ぷうちゃんが寄ってきて、つぶやく。
「あのさー、書初め、クラスの二番目に選ばれたよー」

「ふーん。」

うっかり聞き過ごしそうになって、ハッとする。
「え!二番目に選ばれたの?」

うん。一番に選ばれたのは毎年選ばれるNさん。
毎年学校の学年代表で区の書初め展に出展される子だ。

ということは、Nさんの次の作品が、クラス代表で学校で展示されることになる。

「おぉ~~!すごいじゃん!!」

二人とも、自身の快挙の報告がつつましやかすぎて、
サラッと流してしまいそうになるではないか。


ぷうちゃんは、筆を持つことも、筆で字を書くことも好きだ。
書くのは遅いけれど、鉛筆で書く字はきっちりと書く。
毎年のお正月のおうちでの書初めは、楽しみの一つでもある。

クラスには、書道を習っている子がほかにも何人もいるはずだけれど。


お正月の書初めでは、のびのびした字がいちばんだと思っているから、
太く大きく書くように、ぷうちゃんにもむむちゃんにも、もっと太く、もっと大きく、
紙から、はみでてもいいくらいよ。と、すすめている。

私の教えが良かったかしら、と、ほくそ笑みながら、いや違うな。
だって、それは毎年毎年言っていることだもの。
きっと、今のクラスがいいのだ。今の担任の先生がいいのだ。今の友だちがいいのだ。
ぷうちゃんが、伸び伸びいられる環境があるからだ。




by shiho_kato | 2018-01-12 09:39 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)