むむちゃんの散歩道

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7月に読んだ小説19冊

なんか、あんまり本が読めてないなぁ・・・。

と、思っていたけれど、この1か月半くらいのうちに読んだ小説を列挙したら、
記録をつけているものだけで18冊。意外と多かった。

「読めていない」と感じるのは、読もうとしている小説以外の本を
高く積みあがっていくばかりで、読み崩せないでいるからだろうか。


面白かったのは朱野帰子『わたし、定時で帰ります』
タイトル通り、だらだら残業にも猛烈残業にも与しない私のお話。
勇んで残業しようとする人たち、有休取るのを悪のようにのたまう人たちに、
盛大にイラっとする。もっと毅然と切り捨てて欲しい気もするけれど、
多少の譲歩がある展開にしておくことで、共感者は増えるだろうなーと思う。
残業込みで仕事が成り立つ労働市場は、早いとこ淘汰された方が良い。
人は労働のために生きてるんじゃなくって、生きるために労働してる。
しっかり防御して、自分の生活と文化を守らないと、
アクセク搾取され続ける労働の仕組みに飲み込まれてしまう。


直木賞を取った島本理生『ファースト・ラブ』
島本理生の小説は、恋愛恋愛していてのらりくらりとしてぼんやりと歯切れが悪くて、相性が悪い。
直木賞候補にあがった時点で、どうしようか、先送りしていたけれど、読んで良かった。
やっぱりぼんやりした作品だなーとは思うけれど、スパっとした大きな展開ではないことの
誠実さみたいなものを見つけることができた。
甘ったるくってかったるくって長く回避してきたけど、最近の作品は読んでみたいかも、という気持ちになった。
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おんなじく直木賞候補になった窪美澄『じっと手を見る』
窪美澄もねっとり恋愛恋愛系だから、回避している作家。
今回読んでみたけれど、やっぱり合わなかった。
介護に携わる若い世代のお話というので、興味を覚えたけれど、その設定が活かされているどうかは疑問。
まはら三桃の『奮闘するたすく』の方が、介護とか、老いとか、生きるとか、死ぬとかを考えることができた。


五十嵐貴久『スタンド・アップ』も爽快なお話だった。
自分の足でスックと立つために、「負けない自分」と出会う必要がある。
そのためのチャレンジは、何歳からでもOKだ。
私はすぐヘタレる(自己評価を下げがちになる)から、
しっかり立ち続けるため、何度も何度も「負けない自分」に出会わなくっちゃならない。
走ることで、わかりやすく「負けない自分」を確認し続けているんだなー、と気づいた。
そういうことを気づかせてくれるパンチがある、お話だった。


木地雅映子『あたたかい水の出るところ』
読んでいるときはそうでもないのだけれど、読み終えた後に印象に残る作品だった。
きっと、『湯を沸かすほどの熱い愛』とか『メゾン刻の湯』とか、銭湯ものには共通する熱さと温かさがあるんだろうなぁ。
お風呂屋さんでの、生身の自分になることの心もとなさと、解放感と身の軽さと。
取り繕ったり、偽れないからこそ、うっかり交わしてしまう信頼とか安心があるんだろーな。


意外に良かったのが、中澤日菜子『Team383』
この人は高齢の人たちを描くのが上手い。
私は気を緩めると、高齢のヒト差別が働く。
今のダメダメダメな社会を構築しておいて、のうのうと老後を迎えやがって、っていう腹立ちを持っているから。
腹立ちは眠らせておくに限るので、定年を迎えた人たちが主人公になるような小説は読まないことにしている。
だけど、この人が書くお話は、読める。共感もする。
ドラマにもなっていたけれど(見てないけど)『PTAグランパ』とかは、ほんと面白かった。
いくつになっても、わだかまっていることをそう容易には解決できず水にも流せず抱え続けるものなんだなー、
いくつになっても、友情とかおせっかいとかで踏み込んでくるのをうまく交わせず、
それ故に、先に進むことができることがとてもたくさんあるもんなんだなーとか。
子どもたちと私とが、核のところでは大して変わりがないように、私とずっと上の年齢の人たちも地続きであることを教えてくれた。


・・・・・・・




by shiho_kato | 2018-07-31 18:53 | 読書ノート | Comments(0)

デジタルの文字、紙の上の文字

福岡伸一さんの記事を読んでほうと、思う。

コンピューターやスマホの画面の文字は、止まっているようでいて実はたえず動いている。電気的な処理でピクセルを高速で明滅させているから、文字や画像はいつも細かく震えている」
(朝日新聞2018年7月27日朝刊)

あぁ、だからなのか。
書かれていることが、パソコンやスマホでは、浮遊して流れて行ってしまうような感覚になるのは。
文字が、文章が、書かれていることが、ピタッと追いついて、地に足がついてる感じがしないのは。

書き直しが効く媒体だからと、私が信用していないからかと思っていたけれど、
そんな「私が思った」とかそういうレベルのことではなく、
実際に文字は止まっていないんだ。

少しばかり安心する。
少しばかり、我が身の身体感覚を信じても良いかと思う。


科学が、力を発揮してくれるのはこんなときだ。


by shiho_kato | 2018-07-27 18:45 | 私ノート | Comments(0)

真夏の夜のかるた

ぷうちゃんが実家に帰っていて、むむちゃんが参加するというので、
夜の鈴ヶ森かるた会の練習に参加させていただいた。
終わりが9時過ぎるのを、子どもたちだけで帰すわけにはいかない。


子どもたちは午前中からまごめでかるた。
夕方あちらを引き上げて、そのままバスに乗って鈴ヶ森の練習へ。

私は仕事帰りに直行して、現地で合流した。
二回取らせていただくけれど、二回目はグダグダ。
平日に、せっかくとれる機会なのに、無念。


終われば9時半を回っていた。明日も仕事だ・・・気が遠くなる。
帰り道、疲れて重たい足を、トボトボと前に進める。


子どもたちは、まるでお祭りや花火の後のように、
テンションがあがっていて、看板に書かれた言葉でゲラゲラ笑える。

朝から晩まで、10時から22時の12時間のかるたDay。
学校も学年も異なる子どもたちが、大人の介入最小限で、それだけの時間を共に過ごす。
いい夏休みじゃないか。


彼らの笑い声をBGMに、いい夏休みじゃないか、と我が身にもつぶやく。
疲れてヘトヘトだけど、明日急いで進めなくてはならない仕事は無い。

彼らがこんなふうに一緒に過ごす夏は、もう二度と巡ってはこない。
そんなかけがえのない時間に立ち会わせてもらえている。
役得ではないか。



「いい夏休みだねーーーー!!!」
恩着せがましく、子どもたちに向かって叫んでみる。


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by shiho_kato | 2018-07-25 23:37 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

第7回「東京・学校図書館スタンプラリー」

7回目となる「東京・学校スタンプラリー

毎年、その機会を利用していろいろな図書館を見せていただいている。
今年は、参加校に加えていただき、ラリー先のひとつとしてみなさんをお迎えする側に立った。
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初参加の手探りでもあり、1日限りで、3時間ばかりのとっても短い時間を設定して。


酷暑が続き、当日は図書委員さんの参加が少ない予定で、
暑い日の運営で具合の悪い生徒さんが出ませんように、
それが一番の気がかり。

二番目の気がかりは、誰も来なかったらどうしよう。
校内のコンセンサスを得て、実施にこぎつけるのに骨を折ってくださった先生方にも、
図書委員の生徒たちにも、がっかりされるような少なさだったらどうしよう。

三番目の気がかりは、逆に、思いのほかいっぱい来すぎちゃったらどうしよう。

****

そうして迎えた当日。

29人の方々にいらしていただいた。
3時間で29人。
閑散とする間もなく、込み合い過ぎる時間も無く、とてもとてもちょうど良かった。
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いらしていただいた図書館関係者の半数は、この7年間の間にお知り合いになった司書さんたち。
心もとなくも初参加へのチャレンジを、助けてくださった方々。
「やっと見に来ることができた」と言ってくださった初めていらっしゃる方々ばかりだった。

図書委員さんは、当日は倍の12人が手伝ってくれた。
WGBTの値が高く、部活が早く終わったり、面談の前の時間を使ったりして、
予定に無い時間に来て手伝いに入ってくれた。
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****

スタンプラリーに参加することにどんな意味があるのだろう。

参加している学校のお仲間に加えていただく、お仲間意識(ネットワークの促進とも言うがそれほどカッコよくない)の醸成以外に、図書館を開放することにどんな意味があるのだろう。

私は、どうして、こんなに参加したいと思い続けていたのだろう。


スタンプラリーの実施日が近づくにつれて、少しばかり緊張を高めながら、つらつらと考えた。

辿り着いたのは、人目にさらすことは、背筋を伸ばすこと。

「これが、うちの学校の図書館です」
そう、外部の方に説明しながら、見せたいもの、知らせたいことが絞れてくる。
際立たせたいものはいっそう際立ち、知らせなくていいものはこの機に無くしてしまう。

そういった緊張感が、時に必要なんじゃないのかなって思う。

ほめられることもあれば、力を入れたけれどスルーされることもあれば、
思いがけないことを見出してもらうこともあれば、至らぬことに気づかせてもらうこともある。

停滞や沈滞は、怖い。それに気づけないことが、何より怖いことだから。


実際に開催してみて、気づいた良かったことは、
(特に管理職や運営に携わる)先生方が、外部に見せるにたる図書館かどうかに思い巡らせてくださったこと。
図書委員の生徒さんたちにとっても、クイズやスタンプやしおりを作り、人を迎えることで、「うちの図書館」の気持ちになってくれたこと。
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そして、後から先生に「今日、図書館ではスタンプラリーをやってる」ことを、図書委員さん以外の生徒たちも知っていたことを教えてもらった。彼らにとっても「うちの図書館」という単語で、この場を思い浮かべてくれていたならば嬉しい。

当日の様子①
当日の様子②



本来、実施の意義があり、意義を実現するために計画が発案され、実施に至るのだろうけれど、
私の中では「意義は発見される」ものであり、「発案時からある」ものではない、という逆転現象。
相変わらず、とんちんかんだなーーーと思うけれど、順序はいいや。

有意義だったに違いない実感が、ここにこうしてあるのだから。

by shiho_kato | 2018-07-23 18:22 | 私ノート | Comments(0)

4人でリレーマラソン@大井東京夏マラソン

とっても暑い日が続いていて、それでも朝は少しは涼しくて、
毎日走ってると、体はそれなりに慣れるよう。

ただでさえ低い血圧を、動いてよっこらあげないことには、
一日の半分近くを役立たずで終わってしまうから。

今日は、自転車で行ける競技場で開催されるリレーマラソンに4人で参加した。

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マサさんと、去年からのランニング友だちのぽっきーさんと、
ぷうちゃんの同級生のお母さんでご近所に住むKさんと。
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1周3.5㎞×12周=42㎞は、暑さのために1周3㎞×12周=36㎞に短くなった。
トータルではだいぶ減った感があるけれど、
ひとりが一度に走る長さは3.5㎞が3㎞になっただけなので、焼け石に水。

4人なので、ひとり3回走った。

どうなることやらと思ったけれど、それぞれに体調に気をつけながら
無事に元気に、フィニッシュ。
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他にも、お友だちランナーさんたちがたくさんチームで出ていたので、
互いに声を掛け合いながら、楽しい時間でした。


Kさんとは、子どもたちがおんなじクラスという縁で知り合いになった。
お互いに走ってるという共通点でこうして休日に共に出かけている。

ランナーという共通項が無かったなら、
保護者会でもPTAの活動でも近づきになることは無かったかもしれない。
私は、そういった自ずから望んで加わったわけではない場を得意としないから。
できるだけ当り障りなく、時の過ぎゆくのを、この関係が過ぎゆくのを、見送れますように、、、
と願いながら、その場にいる。

リレーのいいところは、待つ間たくさんおしゃべりできること。

Kさんと、そんなお話もして、意気投合した。

学校の中にお友だちができた、学校の中に味方ができた。
親の集まる場に出かけるのが、少しだけ楽になる予感。


そして、終わってからのこの写真がお気に入り。
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そろってガツンと子育て世代。

自分の時間は大して取れないけれど、それでも、それだからこそ、
「何者でもない自分で走る」ひとときを楽しみながら、強くたくましい親であれるようにと願ってる。


by shiho_kato | 2018-07-22 18:17 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

富士山に登った話

富士山に登った。

ほんとに登れるのかな、と、不安が募って、緊張もしていた。

朝6時45分のバスに乗って出発して、
9時50分に五合目について、
10時半から登り始めて、
14時ちょっと前にてっぺんにたどり着いた。
15時半少しすぎにてっぺんから下りはじめて、
17時半くらいに五合目に着いた。

朝から夕方まで、てっぺんも含めてとってもいいお天気で、
山頂は寒いと聞いていたけれど、肌にあたる冷気が気持ちいいくらいだった。

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てっぺんからの景色は、自分の足で登り切った人しか見ることのできない、貴重な貴重な景色。
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富士山、日帰りで登れるんだなー。

どこからでも見ることのできる富士山。
「あのてっぺんに立ったんだ」って、
遠くから眺めてはじめて、けっこうスゴイことだって気づく。

富士山の山道は、易しい。
難しい岩も無いし、すべる傾斜も、でこぼこする木の根も無い。
山小屋がたくさんあり、食料も飲み物もトイレも困ることが無い。

そして、だから、のぼってる間、退屈だった。
1000m級の、木や岩や沢があって、緑に覆われた山道を行くお山のほうが、私は楽しい。

でも、ぷうちゃんが登りたいって言ったら、
胸張って一緒に登ろうよ、って言える。

またひとつ蓄えを増やすことができた。
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by shiho_kato | 2018-07-15 18:42 | 私ノート | Comments(0)

東京シティ・フィル・ハーモニック管弦楽団 第317回定期演奏会@オペラシティ

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むむちゃんのピアノの先生で、
保育園も小学校もぷうちゃんの同級生ママ友であり、大学の先輩でもある友人Aちゃんが、
オーディションに受かってオペラシティの舞台に立った。


ピアノを教えてもらっていますが、声楽専攻のAちゃん。
合唱団の一員として「東京シティ・フィル・ハーモニック管弦楽団 第317回定期演奏会」でソプラノを歌うというのだ。

平日、金曜の夜、むむちゃんと仕事帰りに待ち合わせをして、聴きに行った。
オペラシティですもの、それはそれはお高かったから、躊躇したけれど、
Aちゃんの団体割引とむむちゃんのU20の割引のおかげで、いい席で聴かせてもらうことができた。


Aちゃんとは、子育てや仕事や家のことと、毎日髪を振り乱して、ぎりぎりなんとかやり遂げている同士。

そして、それでは飽き足りず、
彼女は週末はピアノを教え、自らもレッスンに通うことを再開し歌い続けている。
私はマラソンをし、かるたをするし、卓球をする。

自分の人生を、自分で組み立てて、生きている。
子どもたちと過ごす時間も含めて、自ら舵取りをして、生きているんだ。
髪を振り乱したりもするけれど、この手もこの足も、私のもの。

小さな体から発せられる強く美しい歌声は、彼女の生き方そのものだ。


ステキなホールのステキな舞台で、ステキな時間と勇気をありがとう。

by shiho_kato | 2018-07-13 23:08 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

今年の七夕

七夕さまー。

今年は笹の葉に願い事を書くパターンにした。
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お願いごとは、みんなブレないなー。
毎年毎年毎年、各々、同じお願いを書き続けております。
願い事だって、継続はチカラに違いない。



七日の土曜日は、午前中むむちゃんの学校公開、午後かるたの日。
むむちゃんにさささっと素麺を食べさせて、
むむちゃんはむむちゃんのかるたへ、私は私のかるたへ。


七夕の日に素麺を食べると、無病息災なんですって。
元気にこの夏を、この一年を乗り越えられますように。




by shiho_kato | 2018-07-07 14:58 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

図書館の自由と学校図書館と「読書指導」

簡単に、私の意見を書いておこう。

・「読書指導」において、学校図書館の貸出履歴は、生徒・教員で共有されることがあることを、貸出を始める前から生徒にあらかじめ知らせてあれば共有はOKである。あるいは、履歴を生徒に戻し見られたくないものは消してもらった上でならOKである。

・しかし、貸出履歴以外については、触れるべきではない。たとえば「自殺や殺人についての本に関心を示している生徒がいる」などということを、学校司書が教員に知らせるべきではない。
・学校図書館で借りている本が、生徒の読書のすべてだととらえたら大間違いである。それとともに、学校図書館外での読書については(たとえば購入したり、たとえば公立図書館の本を借りて読んでいるもの)、生徒の自己申告で把握すべきである。


私は小学生のときに、個人課題(私だけに課せられた課題)で、読書ノートを教員に提出させられていた。
そこに記すのは、読んだものすべてではない。また、その日読んだものではなくてページを埋めるために過去に読んだものも記したりした。
その教員が、なんの意図でもって私ひとりにその課題を課していたのかわからないのだが、少なくとも、彼の勧めた本を読もうとは思わなかった。なぜなら、読書の「量」で言えば、彼よりも私の方がはるかに多いであろうことがわかっていたから。実際、彼の勧めてくれた本は、当時の私にはとても退屈で、消化読書的なものだった。

私が高校生のときに、現代文の教員に受験に向けて個人指導をしていただいていた時期がある。
彼の勧める文章は、がんばって読んだ。テキストの一部分だけではなく、その本一冊を読もうと努力した。受験期のその読書は、時間の使い方としては負荷になっていたかもしれない。
それでも、理解できるようになりたい、わかるようになりたいと思って読んだ。彼が圧倒的に私よりもずっと多くの本を読んでおり、読んだ本も読んでいない本についても、深く理解していたからだ。


私は、思う。
「読書指導」をしたいのであれば、生徒ひとりひとりの読書の傾向を把握することよりも先に、多くの本を読んでいることが必要だ。
多くの本を読み、多くの本にふれた上で、自分の読書の姿勢と傾向とを生徒に示すことだ。
そこまでした上で「君たちの読書傾向を知り、読書指導を行いたい」と宣言することだ。



ちなみに、学校図書館にある本など、世にある本のほんの一部でしかない。

学校図書館法が定める学校図書館の資料は「学校教育に必要な資料」である。
「学校教育に必要な資料」でしかない、と言ってもいい。


学校司書として、この学校で好まれ使われる必要であろう本を頭と心と情報を駆使して選書し、生徒に沿った蔵書構築をしたいと努力しているけれど、どんなにがんばっても「選書」のフィルターを通したものしか置けないのだ。

私自身、毎日図書館に身を置きながら、この図書館の本と、ほぼ同じかそれを上回るくらいの本を公立図書館で借りて読んでいる。
この学校図書館には合わない、そぐわないが、私が読みたい本はあるのだ。
選書権を持つ私とてそうなのだから、生徒はいっそうそうだろう。



学校の中にある図書館で、互いに顔と名前を把握されている図書館で、自身の読む本が、すべて「読書の自由」を守られ、プライバシーを守られていると、無邪気に信じられるような子どもでは、私は無かった。


そして私の読書活動において「ごく一部」でしかない学校図書館の利用履歴を教員に把握されたからといって、読書の自由を侵害されたと憤るほど、私の読書の世界は狭くなかった。


そういう経験を踏まえて、学校図書館への期待が低い私は、(あるいは、リクエストには限りなく応えたいと思いながら、それだけの期待を託されるだけの信頼は得られ難いと葛藤しながら仕事をしている身として)「学校図書館」か「図書館の自由」かの二項対立はあまり意味が無いと思っている。


学校図書館における読書の記録は、生徒自身があらかじめ教員に知られることを承知していれば生徒がコントロールできるものだ。
そのコントロールを尊重すべきだと思っている。


そういうわけで、冒頭の結論に至る。



*****
学校図書館法
(定義)第二条  この法律において「学校図書館」とは、小学校(盲学校、聾学校及び養護学校の小学部を含む。)、中学校(中等教育学校の前期課程並びに盲学校、聾学校及び養護学校の中学部を含む。)及び高等学校(中等教育学校の後期課程並びに盲学校、聾学校及び養護学校の高等部を含む。)(以下「学校」という。)において、図書、視覚聴覚教育の資料その他学校教育に必要な資料(以下「図書館資料」という。)を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによつて、学校の教育課程の展開に寄与するとともに、児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備をいう。


*****
図書館の自由に関する宣言
第3 図書館は利用者の秘密を守る
 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
 図書館は、読書記録以外の図書館の利用事実に関しても、利用者のプライバシーを侵さない
 利用者の読書事実、利用事実は、図書館が業務上知り得た秘密であって、図書館活動に従事するすべての人びとは、この秘密を守らなければならない。




by shiho_kato | 2018-07-03 18:45 | 読書ノート | Comments(0)

「似ている」シリーズ&「目で見る」シリーズも、とても面白い

「くらべる」シリーズは面白かった。
さらに面白かった「似ている」シリーズ。
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『似ていることば』
たとえば、ふくろうとみみずく、あふれるとこぼれる、足と脚、使用と利用、舟と船などなど。

『似ている英語』
たとえば時計ClockとWatch、小さいlittleとsmall、笑うlaughとsmile、木treeとwoodなどなど。

写真で見比べて楽しい。
写真なので、インプットされやすい。
写真なので、英単語がわからなくっても一緒に楽しめる。
写真なので、似たような絵を身の回りに探してしまう。読み終えた後の余韻がハンパ無いのです。



そして「目で見ることば」シリーズ①~③
耳で聞き、言葉として読んではいるけれど、頭に浮かべることができない言葉、ことわざがある。
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「互角」が、本当に「ツノ」のことだったとは
「ひいき(贔屓)」が、カメに似た生き物ことだったとは
「引っ張りだこ」が、天日干ししているタコのことだったとは
「へそくり」「へそ曲がり」のへそは、おへそのことでは無かったとは
「じぐざぐ」は、擬音語でも擬態語でもなく、英語だったとは
「シカトする」の「シカ」が、「鹿」のことだったとは
「ぐれる」がハマグリのことだったとは
「長いものには巻かれろ」の「長い」のは、ゾウの鼻だったとは
「ひょんなこと」のひょんは、イスノキという樹になる実の鳴り音だったとは


発見の驚きは、写真で紹介されることでびっくりが5割増しになる。

一緒に立ち止まって、一緒に考えることができる。
なんだかいいシリーズだなぁ。


かつての『ピースブック』と『とっときのとっかえっこ』と出会ったときの衝撃に似ている。
人にすすめたくなる。

by shiho_kato | 2018-07-01 18:35 | 読書ノート | Comments(0)